ネパール評論

ネパール研究会

ブッダ平和賞における政治と宗教

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仏陀(釈迦)が非暴力平和(不殺生)を説いたことは周知の事実であり,ルンビニでも「五戒(パンチャシーラ)」碑を前に平和を祈念する人の列が絶えない(前記事写真参照)。仏陀は平和を説いたのであり,したがって田上長崎市長と秋葉前広島市長へのブッダ国際平和賞授与はたいへん名誉なことであり,世界平和とっても大きな意義があることはいうまでもない。
(平和賞HP)

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しかし,ネパール内政の観点から見ると,ブッダ平和賞はかなり生臭い,政治的な賞=ショーであることもまた事実である。

ネパールでは,宗教が日常生活と密接不可分の関係にある。宗教と無縁の生活はありえず,従って政治も宗教と何らかの形で関係せざるをえない。2006年革命成功で世俗共和国になったが,新国是の世俗主義(secularism)は,国家(政治)と宗教の切断・分離は意味しない。

ネパールの世俗主義は,国家(政治)は宗教と関係を持ってもよいが,特定の宗教・宗派の優遇はしない,ということである。日常生活が宗教と密接不可分である以上,そうせざるをえないであろう。

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では,この意味での世俗主義を、いまの革命共和国は遵守しているであろうか? 世俗共和国の大統領,首相,大臣,官庁などは、様々な宗教を公平に扱っているであろうか?

どうも,そのようには見えない。もっとも甚だしいのが,仏教の優遇である。いまのネパールでは,仏教は,新体制派の体制イデオロギーとして,いたるところで便利に利用されているのである。無節操とすらいってもよい。

これは政教分離にはもちろん,諸宗教公平としての世俗主義の原則にも反している。

(平和賞HP)

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私が,田上長崎市長と秋葉前広島市長のブッダ平和賞受賞を喜びつつも,どこか釈然としないのは,この賞があまりにも宗教的だからである。

ブッダ平和賞授賞式の会場がどこであったかは,報道だけではよく分からない。リパブリカ記事(5月18日)によれば,マヤデビ寺院の境内かその隣接地のようだ。
マヤデビ寺院(Google)

授賞式は,大きな仏陀画の前で挙行され(下図中央),金属製の仏像が授与された(同右)。この平和賞は,ネパール政府が授与する賞だが,どう見ても仏前授与式であり,宗教儀式である。
(平和賞HP)

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ブッダ平和賞は,革命共和国の世俗主義と両立するのか? 平和賞授与式は,仏陀生誕を祝う仏教儀式の一環ではないのか?

ネパールでは,宗教と無縁の生活は考えられない。政治もそうであろう。しかし,それでは世俗主義とは,いったい何なのか? 

この仏陀生誕日のニュース映像を見ていいただきたい。平和賞は完全に仏教儀式のなかに組み込まれ,利用されている。
 ▼平和賞授与式ニュース(nepalnews, May 17)

宗教は生死の意味を問うものであり,政治的には本質的に危険なものである。仏教も例外ではない。革命共和国が世俗主義をとるのなら,宗教的にもう少し慎み深くあるべきではないだろうか?

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/05/21 @ 12:19

カテゴリー: 宗教, 政治

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