ネパール評論

ネパール研究会

福留真紀著『将軍側近 柳沢吉保』を読んで

福留真紀著『将軍側近 柳沢吉保 いかにして悪名は作られたか』新潮新書(2011)を読んだ。

新刊本にはたいてい宣伝文を印刷した帯がつけられているが,本書のそれは,実に見事,うまい。「奸臣か――史料を駆使してその実像に迫る――忠臣か」。本文以前に,キャッチコピーに感心してしまった。

書店や売店でこれを目にしたとき,一般の読者は「奸臣か忠臣か」のハラハラ・ドキドキ歴史読み物を期待して,また歴史家・歴女らは「史料を駆使して」に期待して,本書に飛びつくことになる。「面白くてためになる」が良書の要件なら,本書,あるいは少なくとも出版社のもくろみは,そのような良書にあるとみてよいであろう。

しかし,これはなかなか難しい目標である。小説的面白さは実証の軛から逃れようとし,実証的堅実さは解釈の自由を縛ろうとする。事実実証か,解釈評価か? 

歴史という果物にとって,もっとも重要なものは事実の堅いタネにある。しかし,皮肉なことに,食べやすく美味しいのは堅いタネではなく,柔らかい果肉の方である。だから,多くの場合,果肉(解釈評価)だけ食べられ,タネ(事実実証)の方は,捨て去られる。碩学EH・カーも,そう慨嘆している。

本書の帯キャッチコピー氏は,「奸臣か忠臣か」で本書を一般読者に買わせ,あわよくば「史料を駆使」の堅いタネまでも食べさせようと企んでいるらしい。新書キャッチコピーとしては,なかなかよく出来ている。

帯広告は,出版最終段階で作成されるのであろうが,本書の執筆・出版意図が当初からそこにあったことは,まず間違いない。実証歴史家の著者が新書を書くのだから。

しかし,これは碩学カーをすら悩ませた野心的企てである。著者は,美味しい果肉だけの食い逃げを許さず,堅い事実実証までじっくり玩味させることに成功しているであろうか?

私は日本史門外漢である。そればかりか,日本史(歴史)は中学・高校では英語の次に嫌いな科目で,成績はたいてい「2」であった。したがって,以下は日本史コンプレックスを持つ全くの素人の単なる読後感にすぎない。

本書の課題は,将軍側近の代表的人物,柳沢吉保の実像を解明することである。吉保は,狡賢い策士,悪徳政治家,「迎合学の大博士」(蘇峰)などと散々酷評されてきた。将軍綱吉を籠絡し,権勢をふるい,私腹を肥やした一代のワル,という評価である。

しかし,本当にそうか? 単純化して素人の言葉でいえば,吉保は本物のワルか,それとも実際には「よい人」であったのか? 本書の結論は,「よい人であった」ということである――

 実際の吉保の権力は、日常の政務ではなく、綱吉独自の政策の遂行の手足としてや、綱吉の執務・生活空間である「奥」の世界で発揮されていたのであり、老中の職務との明確な住み分けがなされていた。そしてあくまでもその権力は、綱吉の政治権力を背景にしており、吉保固有のものではなかった。とはいっても、吉保は、綱吉のイエスマンではなく、その気持ちに寄り添いながらも、問題があればとことん諫言する姿勢を持っていた。また、将軍側近という立場から、諸大名をはじめとする周囲の人々へ与える大きな影響力や、彼らからの厳しい視線を自覚しており、自分自身だけでなく家臣にも「慎み」の姿勢を大切にさせ、行動を律していたのである。
 そんな吉保の振る舞いにも拘わらず、彼が新興大名、つまりこれまでの階層秩序を乱す「成り上がり」であったために、吉保の思いや姿勢を、世間が素直に受け止めることはなかった。吉保は、日本人が愛する忠臣蔵のストーリーの中で、ますます「悪役」イメージを確固たるものにしてしまったのかもしれない。・・・・
 しかしこれからは、そのフィクションの中の「悪役」そのものの吉保とは別の、「実」を重んじ「慎み」に生きながらも、「悪役」の宿命から逃れることのできなかった、リアルな柳沢吉保の横顔にも思いを馳せていただけたら、幸いである。
(pp.186-187)

これは,抑制された筆致ながら,ほぼ全面的な吉保擁護論である。本書の大半を占める堅い実証部分は,筆者の吉保への深い愛情,不当に貶められてきた吉保の名誉をなんとしてでも回復したいという強い願いによって,背後から「慎み深く」支えられていると見てよいであろう。

しかし,「慎み深く」擁護されているとはいえ,これはもはや「よい人」どころではない。もしこれが吉保の「実像」だとすると,彼は武士の鑑,忠臣中の忠臣ということになる。いや,さらに一般化するなら,吉保は上司を支える理想の部下とさえいってよいだろう。吉保のような部下をもつ上司は上司冥利に尽き,会社や組織の繁栄は間違いない。そして,ここが注目されるなら,本書はビジネス書としても売れる始めることになるであろう。

日本史門外漢の私には,吉保忠臣説の正否は判断できない。しかし,一般的にいって,ワルの「奸臣」が徳川幕府のような巨大組織内で成功し続けることは難しい。勧善懲悪の芝居に悪役は不可欠だが,吉保の立身出世はやはり忠誠への相応の報いであったとみる方が妥当であろう。

この観点から見ると,「史料から浮かぶ実像は意外で地味だ」という朝日新聞(6月12日)の本書紹介は,いささかズレているといわざるをえない。武士の本分は主君への忠誠であり,それは地味に見えようと,本来,諫言・反逆をも内に秘めた非凡な精神態度である。それを「意外で地味だ」とやってしまっては,見るべきものも見えなくなってしまう。地味だけの男に、そもそも,これだけの立身出世が出来るはずがないではないか。

本書の「奸臣か忠臣か」という果肉部分は十分に美味だったが,さてそれで実証の堅いタネ部分までも賞味できたかというと,正直に告白するが,こちらは日本史コンプレックスのせいもあり、存分に玩味し三昧の境地に至るところまでは行かなかった。まったくもって,果肉食い逃げの悪しき読者の見本である。

かつてM・ウェーバーは『職業としての学問』において,こう述べた。

実際に価値ありかつ完璧の域に達しているような業績は、こんにちではみな専門家的になしとげられたものばかりである。それゆえ、いわばみずから遮眼革を着けることのできない人や、また自己の全心を打ち込んで、たとえばある写本のある箇所の正しい解釈を得ることに夢中になるといったようなことのできない人は、まず学問には縁遠い人々である。・・・・こうしたあまり類のない、第三者にはおよそ馬鹿げてみえる三昧境、こうした情熱、つまりいまいったような、ある写本のある箇所について「これが何千年も前から解かれないできた永遠の問題である」として、なにごとも忘れてその解釈を得ることに熱中するといった心構え――これのない人は学問には向いていない。そういう人はなにかほかのことをやったほうがいい。(岩波文庫,pp.22-23)

本書を読んでいると,たしかに実証史家とは、そのような「第三者にはおよそ馬鹿げてみえる」ような仕事に喜びを見いだすことの出来る,ちょっと風変わりな人なんだなぁ,とあらためて実感させられた。ヤクザな政治思想史家は,概して,辛抱が足りない。自省猛省。

 

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/06/15 @ 18:54

カテゴリー: 政治,

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