ネパール評論

ネパール研究会

正義か平和か、真実和解委員会

人民戦争中の人道犯罪、人権侵害について、免責するか否かが大問題となっている。難しいが、当事者にとっては今後の人生を左右する重大事であり、また和平にとっても避けては通れない課題である。

人民戦争による死者は16000人以上、行方不明者は1000人以上とされ、拉致、拷問、レイプなどの人権侵害や財産強奪など犯罪行為も無数にあった。加害者は政府側、マオイスト側の双方。

議会設立の「真実和解委員会」は、双方に対する全面的免責を検討している。これに対し、HRW(人権監視)やICJ(国際法律家委員会)は、全面的免責は国際法やネパール政府の約束する人権尊重の基本方針に反すると警告してきた。被害者には、事実関係をしり、補償され、加害者処罰を要求する権利があるという。

真実和解委員会については、「包括和平協定(2006)」や「暫定憲法(2007)」が設置を定めている。包括和平協定5.2.5によれば、真実和解委員会を設置し、人権侵害の事実関係を調査し、社会的和解の実現を目指すことになっている。また、暫定憲法第33条(s)も、同様の規定をしている。

真実和解委員会は、もともと処罰が目的ではなく、事実関係を解明し、加害者が加害事実を認め、心から反省することによって、被害者もそれを受け入れ、罪を許し、和解を達成することを目的としていた。南アフリカのような複雑で根深い社会対立が長期間継続したところでは、結局、それしか和解達成の方法はなかったといってよいだろう。

しかし、この真実和解委員会方式は、ネパール紛争には適用しにくい。欧米人権平和団体が最新理論として強引に持ち込んだようだが、私は当初から懐疑的だった。ネパール紛争のような、加害者・被害者が比較的明確で、10年ほどの比較的短期の内戦に真実和解委員会を使えば、結局、正義が無視され、加害が免責されるだけとなる。被害者の不満は鬱積し、いずれ紛争が再発するだろう。

しかし、その一方、犯罪処罰による正義を追求していけば、平和が遠のくこともまた、残念ながら事実である。たとえば、正義を追求すれば、プラチャンダ議長やバブラム首相も紛争中の人道犯罪や人権侵害について責任を免れないだろう。

正義か平和か? 難しい選択である。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/04/26 @ 10:15

カテゴリー: 司法, 平和, 人権, 人民戦争

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