ネパール評論

ネパール研究会

スラム住民粉砕,マオイストの無慈悲

こんな極悪非道なことは,王政はむろんのこと,NC・UMLブルジョア政権ですら,決してやらなかった。ブルジョア新聞リパブリカですら,怒り心頭,写真付きの大きな記事を掲載,マオイスト政府を激しく厳しく非難・告発している。

5月8日朝,開発関係当局(カトマンズ開発局,バグマティ総合開発委員会)は,ブルトーザーと作業員,武装警官隊1800人,警官多数を動員し,タパタリ近くのバグマティ河岸のスクォター「不法居住」地区を急襲,バラックを一気に踏みつぶし,スクラップにしてしまった。

うかつにも気がつかなかったのだが,この「不法占拠」スラムには,小学校(生徒150人)や教会もあったそうだ。それらのすべてが,マオイストのブルにより踏みつぶされてしまった。

スクォター(不法占拠者,無権利居住者)たちは,もちろん抵抗した。女性や子供も「人間の盾」になった。しかし,彼らには,人民政府の催涙弾とゴム弾が浴びせられ,警棒で滅多打ちされ,容赦なく「革命」に屈服させられた。

「土地なしスクォター闘争委員会」がいうように,「革命政府は,スクォター問題をブルトーザーと銃弾により解決することにした」のである。たしかに,教祖・毛沢東が言うように「革命は銃口から生まれる」。

そもそもカトマンズの「不法占拠」河岸スラムは,マオイスト人民戦争とNC=UML自由化政策に起因する。王制下であれば,たしかに差別・貧困は甚だしかったが,最低限度の前近代的「社会保障」制度がギリギリ機能していた。グティや寺院など。

ところが,それらが自由化と民主化と革命により破壊され,下層人民には「飢える自由」が恵与された。人民戦争が村から追い出した人々,経済的・社会的自由化が「豊かな社会」からはじき出した人々,そうした最下層の人々が最後にたどり着き身を寄せ合って生きていた「不法占拠」河岸バラックを,マオイスト政府はブルとガンにより粉砕してしまったのだ。

河岸スラムは,たしかに見苦しい。日本援助の豪華橋&ピカピカ最新信号システムのすぐ下にあるスラム。豪華超高級マンション宣伝大看板の借景をなす河岸スラム。古都パタンに向かう金満観光客,超豪華ヒマラヤホテル連日開催のアゴ・アシ付きセミナー参加の内外名士たち,ピカピカ四駆でお仕事の国連関係諸氏,そして豪華国際催事場で高禄を食む最大政党マオイスト議員たち――こういった人々にとって,河岸スラムは実に見苦しい。ブルとガンとゲバ棒で一気に粉砕,更地に戻し,美しい河岸公園としたくなるのも,もっともだ。

駐屯地バラックの人民解放軍兵卒は,実力部隊として幹部を議員に押し上げたあと,「過激派」として特権議員から駐屯地バラックを追われた。スラム住民は,最底辺肉体労働者としてマンション建設に動員されながら,マンション住民からは見苦しい不法占拠者としてバラックを追われた。

しかし,そもそも土地は誰のものか? 河岸スラムにすむ人々は,ヒト以下なのか? 野良犬ですら,河岸に憩う。イヌには自然の自由(自然権としての犬権)がある。河岸スラムの人々には,ヒトの自由も,したがって当然,人権もない。


  ■ヒュンダイ・ブルでバラック粉砕(Republica, May9)


  ■がれきと化した河岸スラム(Republica, May9)

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谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/05/10 @ 12:18

カテゴリー: マオイスト, 社会, 経済, 人権

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