民族紛争、宗教紛争へ転化か?
トリチャンドラ校の向かいのイスラム教礼拝所を見てきた。この礼拝所は、年々大きく美しくなり、いまや堂々たる巨大礼拝所だ。
外から見物しただけだが、信者が次々と訪れ、礼拝している。ものすごい数だ。みな礼儀正しく、嫌がられるわけでも叱られるわけでもない。
この付近、バグバザールでは、ムスリムが目立つようになった。ムスリム人口が増えていることは知っていたが、これほどとは思わなかった。
イスラム教は、本来、寛容な宗教だが、弾圧されれば、やむなく抵抗せざるをえない。この礼拝所の前でも、2011年、ムスリム協会書記長が白昼、暗殺された。襲撃犯捜査要求デモが繰り返し行われたが、結局、うやむや。どこまで真剣に捜査したのか疑わしい。
■イスラム協会書記長,暗殺される
■イスラム教
襲撃がどの勢力によるものにせよ、このような行為は宗教対立を激化させるだけであり、どの宗教の利益にもならない。そのようなことは理性ではわかっていても、いざ信仰となると、後先考えずに、このような短絡的行為に走ってしまう。情念に深く関わる宗教の難しい所以である。
人民戦争後の体制変革は、宗教間の寛容を拡大するどころか、逆に、ヒンドゥー教・イスラム教・キリスト教の間の緊張を高めることになってしまった。信徒急増のキリスト教とヒンドゥー教の関係も危うくなってきている。一触即発といっても言い過ぎではない。
人民戦争により激化した民族/ジャーティ対立が、泥沼の宗教対立に転化することのないよう切に願っている。
[追加1]キルティプールの丘の上のキリスト教協会(2012-11-10)
上掲のメソジスト教会は、丘の下の新興住宅地にあるが、この協会(2000年設立)は丘の上、村の中にある。教会そのものではなく、「協会」のようだが、それでも看板と屋上に十字架を掲げ、キリスト教関連施設であることは、明白だ。共同体意識の強いはずのキルティプールで、どのように見られ、どのような活動をしているのだろうか? 気になるところだ。
[追加2]「エベレスト子供の家」事件(2012-11-10)
リパブリカ(11月10日)が大きく報道したところによると、先週、ポカラの郡子供福祉委員会が、「エベレスト子供の家(Everest Children’s Home)」を調査し、8人の子供を救出した。両親が健在なのに、子供を収容し、キリスト教に改宗させていたという。
このような事例は、このところ無数にある。難しいのは、経済格差があるところでの救貧活動や慈善事業。宗教団体が運営すれば、布教目的と取られるし、世俗団体であっても、たとえば派遣スタッフが英語を使っておれば、母語を奪い英語化することが目的(英語帝国主義)ととられる。
特に宗教に関しては、キリスト教が危険視されている。たとえば、大統領や首相がキリスト教に改宗したら、どうなるか? あるいは、プラチャンダ議長がキリスト教徒だったら、マオイストはどうするか?
憲法によれば、国家元首や首相や政党党首がどのような宗教であれ、何ら問題はない。しかし、現実には、そうはいかない。
プラチャンダ党首は、早い段階から、ヒンドゥー教儀式には出席していない。政教分離の原則に従っているからだろうが、一部には、プラチャンダ議長はキリスト教に改宗したからだという声もある。まさかとは思うが、豪傑プラチャンダ氏なら、そのくらいのことはやってのけるかもしれない。
谷川昌幸(C)
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