ネパール評論

ネパール研究会

文化の保守と革新

カトマンズの近現代はすさまじく、もはや古き良き古都の面影はほとんど残っていない。これは統計局向かいにできた巨大商業ビル。およそ文化的ではない。

130104h ■統計局前の巨大ビル(2012-11-18)

こうした近現代の風景を望遠レンズで切り捨てると、たとえば、かろうじてこのような景色を拾い出すことができるにすぎない。

130104a ■旧王宮広場前の屋上喫茶より望むスワヤンブー(2012-11-6)
 

これは京都も同じ。先日、久し振りに烏丸四条~御池付近を歩いたら、近現代的ビルにほとんど建て替えられ、非文化的な無個性な街に様変わりしていた。

言い古されたことだが、日本は世界でもまれな保守思想の薄弱な国。「古いもの」を平気で破壊し、「新しいもの」に置き換えていく。日本は、時とともに流れ流されていく、根無し草の国なのだ。天皇が天壌無窮の「根」だと言う人もいるが、天皇は丸山真男が論証したように「からっぽ」であり、保守思想の「根」とははなりえない。

京都には、日本における保守思想の薄弱を実証するものが他にも無数ある。たとえば、二条駅。旧二条駅は、寺院風の巨大木造駅舎であったのに、高架複線化を錦の御旗に、あっという間に破壊され、平凡無粋な新駅にされてしまった。もし二条駅が保存されていたら、修復された東京駅の少なくとも数倍の価値があり、京都観光の目玉の一つになっていたはずだ。まことにもって、残念。

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 ■二条駅・新/旧(wiki)

同じく京都北部の北京都タンゴ鉄道(旧国鉄宮津線)。かつては各村に、おそらく村民総出で建てたであろう、趣のある木造駅舎があったのに、民営化と引き替えの手切れ金で、何の変哲もない画一的な近現代的駅舎に建て替えられてしまった。

たとえば、「山椒大夫」の舞台ともなった、風光明媚な丹後由良の駅舎。これでは鴎外先生も草葉の陰で涙されているに違いない。あるいはまた、天橋立・阿蘇海と桜とトンネルの情緒豊かであった岩滝口駅。それが、この惨状、見る影もない。いま北京都タンゴ鉄道は、むなしく空気を運び、駅舎は閑散としている。

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 ■丹後由良駅(2013-1-4)

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 ■岩滝口駅(2013-1-4)

もしかりに、10駅ほど、いや2~3駅でも昔のままの駅舎が修復保存され、利用されていたら、全国の「鉄の男」や「鉄の女」がわんさと押しかけ、田舎の村々はにぎわっていたはずだ。九州の、偶然に残った木造駅舎の人気をみても、それはまず間違いあるまい。かえすがえすも残念だ。

この点、たとえば保守本家の英国は、偉い。原則として、古いものを修復して使う。文化は保守であり、保守が強靱であればあるほど、また強烈な革新も生まれる。ビートルズのように。文化の革新のためにも、保守に値する「古いもの」は頑固に保守されなければならないだろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/01/05 @ 18:35

カテゴリー: 文化, 旅行, 歴史

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