ネパール評論

ネパール研究会

権力乱用調査委員会(7):文化と「腐敗」

ネパールにおける権力(職権)乱用撲滅運動は,他の場合と同様,国際社会,つまり欧米先進諸国の強力な働きかけを受け推進されてきた。内政干渉そのもの,欧米モデルにネパールを鋳直そうというわけだ。

たとえば,「ノルウェー開発協力庁(Norwegian Agency for Development Cooperation)」の報告書『ネパールにおける腐敗と反腐敗(Corruption and Anti-Corruption in Nepal)』(Prepared by Sarah Dix, 2011)を見ると,完全な上から目線,厳父が子を叱りつけ,行儀作法をしつけるといった感じだ。

槍玉に挙げられているのは,例のチャカリ(चाकरी)やアフノ・マンチェ(आफ्नो मान्छे),あるいはジャギール(जागिर)やビルタ(बिर्ता)などの慣習や伝統。これらが不正・腐敗の文化的源泉として容赦なく批判されている。(ジャギールやビルタは恩賞地。現在ではジャギールは「官職」やそれがらみの「権益」となっているという。)

私も,以前は,何回かチャカリをやったことがある。高官に面会するため公邸やシンハダーバーの執務室に出向き,何時間も何時間も,お出ましを待っていた。ほかにもたくさんの人が,同じようにして,待っていた。たいへんな時間の無駄だ。不合理。そして,そうして得られる高官からの恩恵は,当然,人間関係に依存するものとなり,非公式であり,不安定,不公平なものとなる。

あるいは,役所でも銀行の窓口などでも,何かをしてもらおうとすれば,有力者に口を利いてもらうか,何らかの贈り物を渡す必要があった。最近はかなり少なくなったが,それでもまだあちこちに見られる。これらも,不合理・不公平であり,著しく透明性に欠ける。

131005 ■伝統文化批判の古典:ビスタ『運命論と開発』

これらのネパールの伝統的慣行は,近代的な「官僚制」や「法の支配」の観点からすれば,不正,腐敗である。しかしながら,それは近代的な「官僚制」や「法の支配」を価値基準とするからであり,もしそれらを前提としなければ,不正・腐敗とは言えない。チャカリにせよアフノ・マンチェにせよ,ネパールの伝統文化であり,その限りでは十分な存在理由があるのである。

この歴史的な存在理由をもつ伝統文化を,欧米先進諸国は,近代的な「官僚制」や「法の支配」を基準として,不正・腐敗として一方的に断罪し,根底から廃棄させようとしてきた。ノルウェー開発協力庁報告書は,こう書いている――

「ネパールでは,非公式な統治諸慣行が蔓延し腐敗を存続させている。政治は実際には不文の『ゲームの規則』により行われている。」

この不文の「ゲームの規則」こそ,チャカリやアフノ・マンチェなどの伝統文化に他ならない。したがって,不正撲滅,腐敗防止は,必然的に伝統文化の否定に向かわざるを得ないわけだ。

ここに,ネパールにおける不正撲滅・腐敗防止政策の難しさがある。欧米先進諸国の支援の問題点は,近代的官僚制=法の支配(法による支配)をグローバル・スタンダードとして絶対視し,一方的にそれを押しつけるところにある。デリカシーに欠け,非文化的。伝統文化から見れば,「腐敗」は腐敗でなく,「不正」は不正ではない。

むろん,伝統や文化を理由に何でも許されるか,という難問は残る。一夫多妻や性器切除など。

ネパールにおける不正撲滅・腐敗防止は,こうした難問を頭に置きつつ,やはり基本は,一方的な押しつけではなく,ネパールの人々から求められたとき,側面から協力するということを原則とすべきであろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/10/05 @ 18:45