ネパール評論

ネパール研究会

ネパールの市民教育(試論)1

谷川昌幸(C)

1.はじめに
1-1 市民教育先進国ネパール
ネパールではいま,市民教育が切実な課題であり,学校でも地域社会でも,国中いたるところで人々が熱心に市民教育に取り組んでいる。現在のネパールは,おそらく世界でもっとも活発に市民教育を行っている国の一つであり,そこでは様々な先駆的な方法が試みられ,教材も次々と開発され使用されている。

ネパールというと,私たちはすぐに,ネパールは貧しい開発途上国(*1)であり,先進国の日本は何であれ援助し教える立場にあると思いがちだが,これは根拠のない大いなる錯覚であり,他のいくつかの分野と同様,市民教育についても,日本はむしろネパールから学ぶべきことが少なくない。

 *1 ネパールの人間開発指数(HDI)は世界177カ国中の第136位(2003年),一人あたりGDPは日本が33,713ドルであるのに対し,ネパールは237ドル(2003年)。ネパールは「開発中位国」の下位に位置づけられている。UNDP『人間開発報告書2005』参照。 

そこで,以下では,ネパールの市民教育のいくつかの事例を紹介し,もって日本の市民教育の向上にいくばくかでも資することにしたい。

1-2 市民教育の名称
ところで,「市民教育」は,英語表記では Citizenship Education, Civic Education, Civics などとなる。これを「市民性教育」と表記する人もいるが,日本語としては,これはいささか語呂が悪い。また,「シティズンシップ教育」とすると,英語帝国主義迎合的(*1)であるばかりか,カタカナ表記のあいまいさ(*2)も免れないので,教育用語としては,これも望ましくない。市民教育は,よき市民の育成が目的だから,「市民教育」と称するのが最適である。

 *1 「英語帝国主義(English Imperialism)」とは,英語は世界共通語であり,世界のすべての人が英語を学び使用すべきだという考え方。日本では,日本国政府や地方自治体,経済界,大学などがこの立場に立つ。一般に,日本の古き良き伝統を維持し,愛国心教育推進を唱える機関や人々が中心になって,この英語帝国主義を提唱している。たとえば,ちょうどいまテレビでNHK(日本放送協会)アナウンサーが,「今日はノーマイカーデーです」と放送している。「ノーマイカーデー」は日本語ではなく,意味不明で,美しくもない。その証拠に,日本語の専門家のはずのアナウンサーが,この言葉をうまく発音できず,2,3回読み直していた。アナウンサーですら読めないような異国由来の言葉をわざわざ使用するほど,日本の国家や地方自治体や財界や大学は愛国的であり,英語帝国主義的だ。自虐史観批判をする人は,たいてい英語帝国主義者である。[参考文献:あとで追加]
 *2 外国語のカタカナ表記は,その語の解釈を見聞きする人の側に委ねるものであり,意味をぼかすために用いられる。年月と共に日本語化し,意味内容が確定してくるが,それまでは,カタカナ表記は権力者,権威者が真意をごまかし責任逃れをするためのjargon(秘語)である。日本では,役所や大学で多用される。[参考文献:あとで追加]

1-3 市民教育と公民教育
この「市民教育」に近いのが,日本では,社会科の「公民分野」や「公民科」である。「公民」は「市民」とほぼ同じ意味で使用される場合もあるが,日本語としてみると,国家公民的な「公」優先のニュアンスが強い上に,歴史的にも「天皇の民(皇民)」の含意を払拭し切れていない。

「市民教育」は,このような閉鎖的な「公」優先や皇民思想を原理的に否定し,「個」としての市民を通して多元的な開かれた「公共性」を創出・育成することを目指すものであり,したがって,それは「公民教育」ではなく「市民教育」であり,「公民科」ではなく「市民科」であるべきである。

Written by Tanigawa

2008/12/10 @ 13:16

カテゴリー: 教育