ネパール評論

ネパール研究会

国家世俗化とネパール・ムスリムのジレンマ

1.報道自主規制の危険性
9月26日のイスラム協会書記長暗殺は,衝撃的な大事件であり,大きく報道されると思っていたら,ネパール・メディアの扱いはごく控え目,今日はもうほとんど見られない。事件が小さいからではなく,逆に,あまりにも大きく深刻だからこそ,自主規制しているのだ。

このような事件については,センセーショナルに報道しコミュナル対立を煽動するようなことは絶対に避けるべきだが,しかし,これほどの大事件を自主規制しほとんど報道しないのも,またきわめて危険である。青年リーダーを暗殺されたムスリム社会には怨念が鬱積し,いつかは必ず爆発するにちがいないからである。暗殺事件を冷静に分析・報道し,厳正な犯人捜査を要求する。それ以外に,解決への道はない。
詳しく報道するイスラム系メディア(islamonline,20110927)

2.ムスリム人口の増大
ネパールのムスリムは,パンチャヤット制の下での法典改正(1853年法典から1963年法典へ)により,いくつかの深刻な差別は残ったものの,基本的な市民権と信仰の自由を与えられた。そして,1990年民主化により政治参加が自由となり,2007年暫定憲法により国家世俗化も実現した。

こうした状況の下で,全人口に対するムスリム人口は,2%(1981)→3.5%(1991)と増加していき,現在では10%近くに達しているとされる。そして,その多くがバングラデッシュからタライへの移入であり,インド国境沿いには181のマドラサ,282のモスクが出来ているという。

ムスリムが実際には全人口の約10%を占めているとすると,これは大勢力だ。特にタライでは,バンケ,カピルバストゥ,パルサ,ラウタートの4郡でムスリムがすでに過半数を超え,バラ,マホタリ,ダヌサ,シラハ,スンサリの6郡では2番目に大きい社会集団となっているという。

もしこれが事実だとすると,国家の民主化・世俗化で,ムスリムは自分たちのアイデンティティを主張する権利と,その権利を通すだけの実力を身につけ始めたと言ってよいだろう。

3.ムスリムのジレンマ
しかし,これはムスリムに難しいジレンマを突きつけることにもなる。もしムスリムが自分たちのアイデンティティを前面に出し権利を主張すれば,多数派のヒンドゥーからの反発を招き,コミュナル紛争になる。10%になったとしても,圧倒的に少数派であり,コミュナル紛争の被害は計り知れない。正当な権利があるのに主張できない。これは深刻なジレンマである。

あるいは,マオイストが主張するように,もし連邦制となり州自治・民族自治が認められたら,すでに過半数を超しているとされるタライ諸郡のムスリムはいったいどうするつもりだろうか? 自治権あるいは自決権を行使してムスリム州あるいはムスリム国とするのであろうか? しかし,もしそのようなことをしたら,大変なことになる。マオイストや他の主要諸政党が喧伝している流行理論によれば,ムスリムにはそうする権利があり,またその実力もあるが,それは実際には出来ない。これは悩ましいジレンマである。

ネパール国家の世俗化は,ネパール社会の宗教化をもたらした。なんとも皮肉なアイロニーである。

* R. Upadhyay, “Muslims of Nepal: Becoming an assertive minority,” Oct.4, 2007, http://www.saag.org/%5Cpapers25%5Cpaper2401.html
*”Gunmen assassinate Muslim leader in Nepal,” Islamonline.net, 2011-09-27

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/09/28 @ 22:22