新国歌は試作品だ,A.グルン
1.試作品としての国歌
作曲家グルン氏は,大マエストロらしく,インタビューで「これが国歌の決定版か?」と尋ねられ,
「これは試作品,一つのモデルにすぎない。まだ手を入れているところだ」
と正直に答えている。さすがマエストロ,俗な政府決定にペコペコしたりしない。尊敬すべき音楽家であり,大好きになった。
グルン氏らがどこに手を入れているのかは分からない。たぶん編曲か演奏方法だろうが,素人判断では,主旋律の最後の1/3が不自然だ。ここを修正すると,かなりよくなる。大胆な編曲で直してしまう手もある。
2.設計主義の誤り
現在では,政治・社会制度を理念に従い人為的に作り上げるというのは,設計主義として嫌われ,問題外とされている。社会の諸制度は自ずと生成するもので,われわれはその自然な自生的秩序に期待すべきだとされている。
この自生的秩序論にも問題はあるが,少なくとも国歌に関しては,この考え方で行くべきだ。
3.人為が完成し自然となる
ネパール新国歌は,マエストロ自身が説明するように,伝統的旋律を使って「作曲」された。この「作曲」の人為的な部分を消すことだ。
人為=artificial=不自然
マエストロ自身が少しずつ修正していってもよいし,人々が勝手に自然になるように修正してもよい。そのようにして「人為」が「自然なもの」となり,人々が自然に口ずさむようになれば,それが真の「国歌」となる。
慣習は第二の自然
人為なのに自然と見まがう。これこそ本物の芸術だ。
art(人為)=芸術(art)
(補足)新国歌公定に関する議論は異常に少ない。全くないよりはましだと考え,かなり危険な批判を抜粋掲載した。「しっくりこない新国歌」をご覧ください。
* Pawan Neupane, This is a true national anthem, ekantipur, Aug.12