ネパール評論

ネパール研究会

戦時犯罪裁判要求,プラチャンダ首相の覚悟は?(2)

2.クリシュナ・プラサド・アディカリ虐殺事件
母ガンガ・マヤ・アディカリの息子クリシュナ・プラサドは,父ナンダ・プラサドら家族とともに,ゴルカ郡プジェルに住んでいた。

ところが,2004年6月6日(4日?),チトワン郡バクラハル・チョークでクリシュナが殺されているのが発見された。SLCを終えチトワンの親戚を訪れた彼を,マオイストが警察スパイと疑い,拉致して暴行し,バイクにロープでつないで引き回し,バクラハル・チョークの木の幹に縛り付け,銃撃して殺したとされる(*2)。あるいは,マオイストがクリシュナを警察スパイと疑い,ゴルカからチトワンに連行して虐殺した,という報道もある(*3)。

しかしながら,父ナンダは,息子殺害には別の理由があったと考える。そのころ,ナンダ一家は所有地をめぐり親戚と争っていた。この親戚は,マオイスト支配下の「村政府」にナンダを訴えており,これが息子殺害の背後にある,より深い理由だというのである(*5)。

2004年6月のクリシュナ虐殺事件の大枠が,もし以上のようなものなら,これは人民戦争期の戦時犯罪の典型と見ることが出来る。
 (1)ゴルカは,マオイストのナンバーツーの実力者だったバブラム・バタライの地元であり,人民戦争の中心地のひとつ。
 (2)チトワンは,マオイスト指導者プラチャンダの地元であり,襲撃や紛争多発。
 (3)私的な財産争いとマオイスト政治闘争との連動。あるいは,私的な財産争いにマオイストを利用,またはマオイストが私的な財産争いに介入し利用。

クリシュナ・アディカリは,プラチャンダの地元チトワンで「警察スパイ」として「処刑」され,残された家族はバブラムの地元ゴルカでマオイストの敵とみなされ,糾弾され始めた。皆殺しの脅迫さえあったという(*3)。

160818 ■ゴルカとチトワン(○印)(Google)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/08/18 @ 10:57