ネパール評論

ネパール研究会

連邦制,希望から失望へ(2)

1.M・パウダャル「連邦制はなぜ失敗するのか?」
最近の連邦制批判としては,たとえばジャーナリスト,K・パウダャルの次のような記事がある。かれは,こう述べている。(大意紹介。正確には原典参照。)。
 ▼Mahabir Paudyal,”Why federalism is failing,” Republica, December 10, 2016.

(1)連邦制の政治的・経済的コスト
「専門家や学者は,ネパールには連邦制は維持できない,と警告してきた。」経済的には,2回の制憲議会選挙(2008年と2013年)で600億ルピーを費やしたし,印ネ国境封鎖によるダメージも大きかった。

政治的には,首相がいくら替わっても,連邦制問題は未解決のままだ。「連邦制推進派と反対派の対立抗争が日常化した。」議会でも解決できなければ,強力な委員会を設置してみても,解決できない。

「このように見てくると,連邦制は,これまで平和構築や憲法制定における『偉大な』成果の一つとされてきたが,実際には,連邦制への移行の前に,連邦制は欠陥品だとの烙印を押される瀬戸際にまで追い詰められている。どうして,このようなことになってしまったのか? 他に選択肢はないのだろうか?」

(2)周縁諸集団の支持獲得手段としての連邦制
ネパールの主要諸政党は,元来,連邦制には好意的ではなかった。ところが,マオイストが人民戦争後期になって,[高位カーストによる封建的中央集権体制により周縁化されていた]ジャナジャーティやマデシの支持を得るため,連邦制を前面に出し始めた。和平合意後も,制憲議会選挙において,マオイストは連邦制を公約に掲げた。

これに対抗するため,UMLは2006年に連邦制支持を決め,NCも翌2007年11月の党大会において連邦制支持を決議した。こうして,「連邦制は,第1次制憲議会選挙[2008年4月]のころから広く支持されるようになった。」

その結果,様々な社会諸集団が,それぞれ自分たちの州を要求し始めた。「そして,その時々の政府が,それぞれの集団の州要求に応えることを約束し,合意書に署名し始めた。第1次制憲議会末期までに,連邦制は使いまわされ,乱用され,その結果,問題解決のための制度というよりは,むしろ諸問題の源泉とさえ見られるようになった。」

(3)連邦制の名目化
第二次制憲議会選挙(2013年11月)では,連邦制を強く要求してきた人々が敗北した。その結果,いまでは連邦制を原則[建前]としては受け入れるが,マオイストやマデシが要求してきたような連邦制には反対する人々が主流となった。

「ネパールの政治家たちは,すでに後悔しているようだ。ネパール会議派幹部のアムレシュ・クマール・シンはこの7月,ネパールの連邦制は失敗すると警告した。『連邦制は,ネパールではうまくいかない』と,彼はBBCネパールに語っている。KP・オリUML議長も,結局,こう認めた――すなわち,UMLは,諸問題を解決してくれると期待して連邦制を輸入し受け入れたが,『今ではもはや』そんなことは信じてはいない,と。他の諸党も,いずれ連邦制を放棄するのではないかと思われる。」

■カナク・マニ・デグジトがこの記事ツイート(12月11日)。イラストは難破寸前の連邦制。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2016/12/26 @ 19:00

カテゴリー: 憲法, 民族, 民主主義

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