ネパール評論

ネパール研究会

ゴビンダ医師のハンスト闘争(23)

6.第15回ハンスト
 (6)決死のハンスト(v) 
 ④強制摂食:いくつかの事例
  A. 西洋近世・近代の奴隷と病人

B. イギリス 収監ハンスト者への強制摂食が本格的に行われ始めたのは,英国においてのようだ。

英国では,19世紀末から20世紀初めにかけて,サフラジェット(Suffragette)が女性参政権を求め勇猛果敢に闘った。彼女らは,投獄されると,ハンストで抵抗した。当初,政府は殉死を恐れ,ハンスト者を釈放したが,1909年多数の収監サフラジェットがハンストを始めると,方針を改め,強制摂食を始めた。

英国内務省の1909年声明によれば,「人為的摂食(artificial feeding)」は人道的であり,理性を失い食べられなくなった収監者が生命を失うことを防止するのに必要な治療である。

しかしながら,実際には,抵抗するハンスト者を拘束し力づくで実施される強制摂食は,出血や嘔吐を伴う,肉体的にも精神的にも耐えがたい苦痛をもたらす「拷問」に他ならなかった。特に女性サフラジェットへの強制摂食は,「口からの強姦」として嫌悪され非難された。

英国政府は,千人以上のサフラジェットに強制摂食をしたとされるが,結局これを継続しえず,1913年に「猫ネズミ法(Cat and Mouse Act)」を制定した。収監者がハンストを始め危険な状態になると釈放し,回復すると再収監するという,まるで猫がネズミをいたぶるような,いかにも皮肉とユーモアの紳士の国,英国らしい法律だ。が,仮釈放したサフラジェットの再逮捕は容易ではなく,実効性は低かった。そうこうするうちに第一次世界大戦(1914-18)が勃発し,対サフラジェット強制摂食問題は終息した。

しかし,英国での強制摂食は,その後も,主にアイルランド民族派のハンスト者に対し継続された。1917~23年,多数のアイルランド民族派が捕らえられ,獄中ハンストは一万人にも及んだという。そうした中,ハンストをしていたトマス・アシュが1917年,強制摂食により死亡,大問題となった。これを機に,アイルランドでは強制摂食は実施されなくなった。

一方,英国では,トマス・アシュ強制摂食死以後も,強制摂食は継続された。英国の刑務所では1913~40年に834人(うちIRA40人)がハンストをし,強制摂食は7734回にも及んだ。(*13)

そして戦後1974年には,IRAのマイケル・ゴーガンと他の4人が英国ワイト島の刑務所でハンストを開始,強制摂食された。そして,64日目,ゴーガンが17回目の強制摂食後,死亡した。この強制摂食死は内外に大きな衝撃を与え,ついに英国政府はハンスト者に対する強制摂食を断念するに至った。

ところが,その代わり,ハンストは放置されることになり,再びハンストを始めたゴーガンの獄中仲間フランク・スタッグは1976年,ハンスト62日で餓死した。その後,1981年には,「鉄の女」サッチャー首相が,ボビー・サンズらIRAメンバー10人のハンストを放置して餓死させ,大問題になったことは周知のとおり。

人権と民主主義の総本家,イギリスでも,ハンストと強制摂食はなおも未解決の難問として残されているのである。


■強制摂食反対ポスター/「猫ネズミ法」反対ポスター/T・アシェ伝記

*13 “Force-feeding in English jails – a hidden history,” The University of Manchester, 5 Nov 2015

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/02/27 @ 15:25