セピア色のネパール(9): 死の日常性
ネパールに初めて行って最も驚き,衝撃を受けたのは,死そのものや死に関することが日常生活の中で不断に見られること。死の意義づけは様々かもしれないが,死それ自体は,ネパールでは,ほとんど隠されてはいなかった。
近現代人は,死を忌み嫌い,出来るだけ隠そうとする。毎日のように食べる魚や動物たちも,消費者の目に触れない,どこか別のところで機械的に効率よく殺され,捌かれ,美しくパック詰めにされ,商品として売り場に並べられている。われわれ消費者としての現代人は,他の生物の死を見ることなく,喜々として,その死骸を食べ,生きているのだ。
人の死も,現代社会では日常生活から切り離され,隠され,見えにくくなってきている。今では,たいていの人が病院や介護施設内で亡くなる。死に立ち会うのは,少数の親族・縁者か施設職員。夜間であれば,誰に見られることもなく,独り死んでいく人も少なくない。
葬儀も簡素化された。遺体は,専門業者の手で「まるで生きているかのように」美しく化粧され,葬祭場での「小さな」葬式のあと,出来るだけ「目立たない」普通の車で火葬場に運ばれ,電気炉で効率よく焼かれ,きれいな灰となる。あるいは,「小さな」葬式ですら忌避され,葬儀なしの「直葬」も多くなってきた。死は,非日常的な死(著名人や事件などの場合)を除けば,今日では日常生活の場では可能な限り遠ざけられ隠されている。われわれは,通常は,人や動物の死を身近に感じることなく日々,平穏に暮らしているのだ。
ところが,ネパールでは,人であれ動物であれ,その死は,日常的に,そこかしこで目にするものであった。
カトマンズでは,遺体を担架(のようなもの)に乗せて担ぎ街中を行く葬列をよく目にしたし,バグマティやビシュヌマティの河岸の火葬場では,毎日のように火葬が行われていた。
その火葬の状況は,おびただしい目撃談にあるように,実に衝撃的なものであった。河岸で遺体が次々と焼かれ,遺灰が川に流されているのに,そのすぐそばで沐浴や遊泳,あるいは洗濯さえする人がいた。あるいはまた,火葬をながめながら立ち話や行商をする人たちもいた。むろん,死を嘆き悲しむ縁者らもいたが,そこでは,そうした人々も含め,その場全体が総体としての日常の場となっているように思われた。死は,そこでは決して日常から切り離され,遠ざけられ,隠されてはいなかった。
日本でも,かつては,人の死が今ほど隠されてはいなかった。私の子供の頃の村では,たいていの人が,自宅で,家族らに見守られながら亡くなった。遺体を清め,死に装束を着せ,葬式を執り行い,遺体を棺桶に入れ,担いで墓場まで運び,自分たちで掘った墓穴に埋めて葬るのは,全部自分たち自身。人の死は,日本でも以前は,リアルなものとして具体的な生活の場で体験されていた。
動物ともなると,ネパールでは,その死は,文字通り日常的に,いつどこでも目にするものであった。
外国人観光客にとって最も衝撃的なのは,寺院での動物供儀。たとえば,ダクシンカリ寺院に行くと,参拝者が連れてきた山羊,鶏などが,神に捧げるため次々と首を切り落とされる。一面は血の海。参拝者は,供儀後の動物を捌き,近くの小川で洗い清め,袋に入れ自宅に持ち帰る。この動物供儀は,供儀動物を持ってこなくても,誰でも,間近で,その一部始終を見守ることが出来た。
こうした動物供儀は,ネパールの他の多くの寺院でも行われていた。ネパールの人々は,尊い動物たちの生命を神に捧げ,その亡骸を神に感謝しつつ食しているのだ。商品としてのパック詰め食肉を買って食べるわれわれよりも,はるかに敬虔であり,人間的に誠実ではないか。
これは,私自身が目撃したことではないが,ネパールの地方の学校では,野外学習や遠足に鶏や山羊を連れていき,昼になると,それらを捌き,調理して食べることがよくあったそうだ。似たようなことは,子供の頃,私の村でも近隣の集会などで,ときどき行われていた。
食の近代化以前は,どこでも,他の生命の犠牲によって生かされていることが,日々の食事の際,多かれ少なかれ具体的な形で意識されていた。ネパールにおける人や動物の生死の有様は,そのことを改めて思い起こさせてくれた。
【参照1】ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争
【参照2(2024/01/18)】
谷川昌幸(C)
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