ネパール評論

ネパール研究会

セピア色のネパール(16):「古き良き」国会議事堂

1990年代のネパール議会は,それ以前と同様,シンハダルバール(सिंहदरवार 獅子宮殿)のガディ[ギャラリー]バイタク(गद्दीबैठक 聖殿/会所)で開催されていた。ネパールは,1990年民主化運動の成功により民主化されたとはいえ,まだ王国であり,ガディバイタク国会議事堂にも「古き良き王国」の雰囲気が色濃く残されていた。

1 シンハダルバールのガディバイタク
ガディバイタクのあるシンハダルバールは,ラナ将軍家統治時代の首相チャンドラ・シャムシェル・JBR(在位1901-29)が,首相就任後に建設に着手し,1908年に完成させた豪華絢爛たる大宮殿。ラナ家の権威と権力を象徴する宮殿として代々ラナ家が使用してきたが,王政復古(1951)でラナ家が失権すると,宮殿は王国政府が国家諸機関の官庁として使用することになった。

そのシンハダルバールの敷地内に,ジュッダ・シャムシェル・JBR首相(在位1932-45)が,首相就任後,建設に着手し,1937年に完成させたのが,ガディバイタク。西洋新古典主義とネワールの様式を採り入れた,これまた豪華な建物であり,主に外国要人接遇のために使われていた。

このガディバイタクも,王政復古後,王国政府のものとなり,議会発足の1959年から内戦終息・国王失権の2006年まで,王国議会下院(代議院)が議場として使用してきた。

 ■シンハダルバール正面(1992)
 ■ガディバイタク前。陳情団か?(1993)
 ■ガディバイタク玄関
 ■ガディバイタク正面屋上看板「代議院」(1993)

2 ガディバイタク見学
そのガディバイタク国会議事堂の見学に行ったのは,1993年のこと。本会議場に入ると,正面上方に国王肖像画,その下方に豪華な玉座があり,議場を権威づけていた。

議員の席は,当初,109席程度だったようだが,議員数が120~134(1980年代国家パンチャーヤト),205(1990年憲法下院定数)と増えていくと,足りなくなったはずなので,おそらくそれに合わせて増設されていったのだろう。が,1993年見学時撮影の写真を見ると,150席前後しか写っていない。本会議のとき,どのように着席していたのだろう? 英国議会に習い,ベンチ式となっていたのだろうか?

それはともかく,ガディバイタクの議場は,豪華だが,議員相互の息吹・表情が直に感じ取れるほど稠密な空間であり,側面の傍聴席から見学していると,与野党の議論は丁々発止,なかなか迫力があった。王制下で権限が限定されていたとはいえ,そこには確かに討議・討論があった。

 ■下院議場
 ■玉座と議長席
 ■傍聴席(議場左右両側)(1993)

補足」ちなみに,上院の方は,1990年憲法体制以前にはどこで会議を開いていたのか,はっきりしない。1993年見学時には,上院棟は下院棟とは別にあり,議場もまるで教室のようで,極めて質素。これはこれはと,拍子抜けした記憶がある。

 ■上院棟(1993)
 ■上院議場

 ■上院議長席

3 マオイスト紛争終結・議会解散・連邦共和制成立
しかしながら,1990年立憲君主制憲法下の議会は,権限が弱く,議論はしても実行力が十分には伴わなかった。そのため,1996年勃発のマオイスト紛争(内戦)も解決できず,2006年にマオイスト優位で停戦,翌2007年には議会は暫定憲法制定後,結局,解散となってしまった。

そして2008年には,暫定憲法に基づき,新たな国家体制を決めるための制憲議会選挙が実施され,そこで選出された制憲議会が王制を廃止し,ネパールを連邦民主共和制とすることを宣言するに至ったのである。

4 議場移転:ガディバイタクから国際催事場へ
さて,そこで,ここでの問題は議場。ガディバイタク国会議事堂は,議場それ自体に権威が感じられ,そこでの議論も活発であったが,いかんせん議会には十分な法的権限がなかった。これに対し,王制廃止後のネパールの国権の最高機関は,国会(制憲議会2007-15/連邦議会2015-)となった。これは明白。では,この最高機関たる国会は,これまで,どの議場で開催されてきたのか?

2007年暫定憲法では,諸勢力の要求を最大限飲まざるをえなかったため,制憲議会の議員定数も膨らみ,結局601となった。議員数601ともなると,ガディバイタクには到底入りきれない。そこで,制憲議会は,ニューバネスワルの「国際催事場(International Convention Centre)」で開催されることになった。

この「国際催事場」は,中国援助で1993年に建設された威圧されるほど巨大な催事場。私は,2010年9月,そこで行われた首相選出本会議を見学に行ったことがある。制憲議会は,全員出席すれば,議員だけでも601人いるので,本会議場は巨大なスリ鉢状ホールで開催されていた。【参照】首相選挙、見学

議長,各党幹部,役職者らは,壇上か前方の席,陣笠議員や傍聴者はスリ鉢状後方の席。質疑は拡声器を通して聞こえてくるが,演壇ははるか彼方,表情など到底読み取れない。“これは観衆向けの一方的演説の応酬であって,質疑応答を通して合意を見出そうとする民主主義的議論の場ではないなぁ”と,いたく失望したことを覚えている。

それでも,ともかくも制憲議会で2015年,連邦民主共和制の「ネパール憲法」が成立,国会の議員定数は下院(代議院)275,上院(国民院)59となった。

ところが,国会の議場は,依然として,あの国際催事場。たしかに議員定数は,制憲議会の601から,下院275へと約半数になった。また,各種委員会は,それぞれ適切な広さの会議室で,それぞれ会議を開いているのであろう。たしかに,それはそうであろうが,もし本会議が今もあの大ホールで開かれているとするなら,たとえ民主的に選出された議員からなる国会といえども,そこで本当に実のある民主的な議論ができているかどうかは,大いに疑問である。

 ■国際催事場

5 新議事堂建設へ
これはネパール政府も当初から危惧していたことであろう。といっても,ガディバイタクには数百もの議員席はつくれない。そこで,結局,ネパール政府は,別に新たな国会議事堂をシンハダルバールに建設し,ガディバイタクは観光用として一般公開することにした。

このネパールの新議事堂は,中国・ネパール共同企業体が受注し,定礎式が2019年9月に行われた。数年で完成の予定。下院(代議院)400席,上院(国民院)100席の議場に加え,議員ロビー,VIPルーム,図書館,博物館,政党控室,レストランなども整備される予定。

この建設中の新議事堂は,国際催事場ほども巨大ではないが,いかにもネパールらしく,やはり結局は相当豪華・壮大なものとなりそうだ。

むろん,国会議事堂の建物で国家の威厳を示すことは,どの国でも多かれ少なかれ行われている。が,議事堂に本当に必要なのは,実りある建設的な議論醸成のための場であること。これはいうまでもない。

ネパールの新議事堂には,ガディバイタクのような絢爛豪華さは不要だが,ガディバイタクが醸し出していた熟議討論の場としての雰囲気だけは,ぜひとも継承してほしいと切に願っている。

*1 PR Pradhan, “Who built Gallery Baithak?,” Peoplesreview,2019/12/18

*2 Gyan P Neupane, “NRA to retrofit Gallery Baithak,” Republica,2017/02/22

*3 “New building for federal parliament to cost Rs5 billion rupees: Country’s first-ever parliamentary building is expected to be ready in three years,” Kathmandu Post, 2019/09/18

*4 “Prime Minister Oli lays foundation stone of Parliament building,” Himalayan News Service, 2019/09/19

*5 “Inventory of 19th and 20th Century Architectural and Industrial Heritage of Nepal,” Vol.I,1st Ed.,ICOMOS Nepal,April 2020

谷川昌幸(C)