ネパール評論

ネパール研究会

UNMIN平和構築支援は失敗,バン国連事務総長

バン国連事務総長は,UNMIN撤退式典メッセージにおいて,「残念ながら進展は不十分だった」と述べ,UNMIN平和構築支援の失敗を事実上認めた(UN News service, 14 Jan)。

ランドグレンUNMIN代表自身が安保理で,ネパール平和プロセスは「座礁状態」にあり,UNMIN撤退後はマオイスト武装蜂起か軍クーデターの可能性がある,と説明したのだから,バン事務総長の失敗メッセージも当然といえよう。(Cf. “Nepal’s Restive Revolutionaries–Unease about a new Maoist revolt flares up as U.N.peace monitors leave,” Newsweek, 13 Jan)

もちろん,バン事務総長もUNMINの功績をたたえてはいる。

「UNMINは,歴史的な2008年制憲議会選挙を支援した。これは,武器監視協定・停戦協定の実施をモニターする任務と並ぶUNMINの主要任務の一つであった」(UN News Service, 14 Jan)。

たしかに,UNMINの停戦監視はある意味では「大成功」(ランドグレン代表,UN Daily News, 10 Jan)であったし,制憲議会選挙も成功裡に実施された。

しかし,その反面,肝心のPLA統合は全くの手つかずだし,また「歴史的」と賞賛された制憲議会選挙にしても,選挙民主主義イデオロギーからすればそういえるだけのことであって,実際には,それは平和実現にはほとんど貢献していない。むしろ,選挙はアイデンティティ政治を激化させ,統治を困難にさせる側面の方がはるかに大きかった。これは制憲議会選挙後の政治の不安定化をみれば一目瞭然である。首相ですら,2010年7月以来,16回の選挙をやってもまだ決められないのだ。

さらに新憲法制定にしても,たとえつじつま合わせのため憲法を作文し各条文を新理論でけばけばしく飾り立ててみても,それでどうなるものでもない。画餅にすぎない。その絵空事新憲法作文ですら,まだ出来ていない。

選挙民主主義イデオロギー,包摂民主主義イデオロギー,連邦制イデオロギー,民族自治イデオロギーなど,様々な新薬をネパールにぶちまけ,いくら副作用が出ても,あとは知らんよ,と出て行く。そりゃ,いくらなんでも無責任ではないか?

バン事務総長は「諸政党には信頼構築努力をひとえにお願いしたい」(UN News service, 14 Jan)といっている。民主主義未成熟で相互不信があまりにも強く,そのため国連は平和構築支援に失敗した,と考えているからであろう。

しかし,M.ウェーバーが言うように,政治は結果責任である。ネパールが途上国で,民主主義未成熟はわかりきったこと。そこに,先進諸国でも実現不可能なような最先端の高尚な政治諸理念を持ち込み,押しつけた。責任は,先進国,国連側にある。

マイノリティの権利は,包摂民主主義でも比例選挙でも守られはしない。たとえ代表されたとしても,人口比(2001年)でラウテは49万分の1(0.003%),シェルパですら147分の1(0.7%)にすぎない。多数決では絶対に勝てないし,さりとて拒否権を認めれば,何も決められない。民主主義では人権は守られない。

マイノリティの権利,弱者の人権を本当に守るつもりなら,真の意味の「法の支配」と,多数派を押さえ込み,法を適用することの出来る強力無比の中央権力が不可欠だ。そんな常識ですら無視して無謀に介入するから,こんなことになるのだ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/01/15 @ 16:01