ネパール評論

ネパール研究会

人治の国の立ち枯れ援助信号機

毎日、朝から晩まで勤勉に仕事をし、合間に街を移動。車は引き続き急増し(韓国車多し)、各地で渋滞が続発している。

この車増加を見越し(あるいは車輸出のため)、日本を始め先進資本主義国は、市内各所に最新式信号機を援助してきたが、見た限りではほぼ全滅、まともに動いているのは最近(今年?)設置したばかりの日本援助カトマンズ=バクタプル高規格道路のものだけだった。これも、この調子では、半年もすれば消されてしまうだろう。

電気は、雨期であり、足りている。スイッチを入れれば稼働するはずなのに、切ってしまう。これはハードではなく、ソフト、つまり文化の問題である。

以前にも指摘したように、信号機は法治(ルール遵守)のモデル。機械(信号機)の合理的命令に人間が服従する。法治が内面化されている日本では、たとえタヌキしかいない深夜の農道でも赤信号で車はちゃんと停止する。日本では、法(ルール)をつくる支配階級は法を守らないが、大半の人民大衆はいつ、どこでも法を遵守する。

これに対し、ネパールは本質的に人治の国。周りの人々の動きを見て自分の行動を決める。文化全体がそうなっているので、道路においても、いくら高価・高級な信号機を設置しようが、それは援助国の自己満足に過ぎず、ネパール人民にとっては何の意味もない。半年もすれば、スイッチを切り、人治に戻してしまう。

たとえば、日本援助の文部省前信号機も、ロータリー式に戻され、警官が手信号で交通整理している。ここには、怪しい「アメリカン・クラブ」があり、前回、日本援助信号機をタメル方面から激写したら、アメリカンクラブ警備兵(武装警官)がすっ飛んできて、すんでの所で射殺されるところであった。ここでは毎年、何も知らず王室博物館やタメル方面をパチリとやった日本人観光客が何人か拘束されている。いまや文部省前交差点は、ネパール文化・社会・政治のパワースポットの一つである。ぜひ見学していただきたい。ただし、写真は撮らないこと。

信号機のないロータリー式交差点は、人治のモデル。つねに相手の格や動きを見て、自分の行動を決める。そして、人治の国ネパールでは、ロータリー式や警官手信号の方が、はるかによく機能している。実に見事だ。

ネパールの人治文化は、社会に深く根付いており、近代的な法治主義や立憲政治を移植するのは、至難の業である。それは、立ち枯れの哀れをさそう日本援助信号機を見れば、誰しも納得せざるをえないだろう。
トヨタと消灯信号と交通安全啓蒙(バグバザール)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/09/21 @ 14:31