ネパール評論

ネパール研究会

僧と貴族と武士が「民族自決」要求バンダ

5月10日,ネパール各地で,ブラーマン(僧族),タクリ(王族),チェットリ(武士)らが「民族自決」要求バンダ(ゼネスト)を実施した。お坊様,宮廷貴族,武士といった高貴な身分の方々が,ゲバ棒や石ころを手に街頭に出られ,お役所,学校,商店,工場を閉鎖し,スト破りの車には天誅を加えボコボコにされたそうだ。

ブラーマン,タクリ,チェットリといえば,もちろん特権身分。ところが,制憲議会選挙法では乱暴にも「その他」に放り込まれ,固有の身分としてすら認められなかった。革命直後であったため隠忍自重,屈辱に耐えてきたが,もはや堪忍袋の緒が切れた。ダリットが「民族」なら,おれたち僧や貴族や武士も当然それぞれ固有の「民族」であり,新憲法で「民族」としての諸権利が認められるべきだ,というわけである。

むろん,これは天にツバするようなもので,以前なら,このような自己否定となるようなはしたない要求はしなかったはずだ。たとえば,国王は公式には自分のことを「われわれ(we)」と呼んでいた(royal “we”)。国王は,その一身において国家=国民全体を代表していたわけだ。僧族や武士にしても,多かれ少なかれ,自分たちが国家=国民を代表する身分であることを前提に,諸特権を享受してきたのだ。

ところが,マオイストが,西洋多文化主義宣教団の応援を受け,「民族」により革命を闘い勝利したため,それまで「普遍(国家=国民)」を代表してきたブラーマン,タクリ,チェットリらは,難しい状況に追い込まれてしまった。彼らが茫然自失に近かったことは,制憲議会選挙法以降,自分たちが「その他」に分類されても,陰でブツブツ言うくらいで,表だっては抵抗らしい抵抗はほとんどできなかったことを見れば,明らかである。国家=国民を代表する俺たちが,なんで自ら特殊身分の一つに身を落とし個別「民族」としての権利要求をしなければならないのか?

しかし,ことここにいたっては,もはやそんな悠長なことを言ってはいられない。俺たちは「その他」ではない! というわけで,僧侶と王族と武士が,なぜかダリットと一緒に,バンダ(ゼネスト)に打って出たわけだ。

しかし,それだけではない。西洋多文化主義宣教団の努力のかいあって,「民族州」「民族自治」「民族自決」のために立ち上がったのは,ブラーマン,タクリ,チェットリ,ダリットだけではない。本家ジャナジャーティはむろんのこと,何と,伝統的カースト制の下で区別されてきた諸集団(ヴァルナ/ジャーティ)が,それぞれ自己のアイデンティティを言い立て,「民族」としての承認や,「集団」としての権利を要求し始めたのだ。

これって,カースト制のポストモダン的再編ではないのかな? プレモダンとポストモダンは,いったいどこがどう違い,実際には,どちらがより安全(よりまし)なのかな?

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/05/11 @ 12:05