ネパール評論

ネパール研究会

村の開発:人からコンクリートへ

日本三大秘境の一つ,丹後のわが村へも近代開発の恩恵がようやく及び始めた。もちろん,民主党が「コンクリートから人へ」のマニフェストを反故にしてくれたおかげ。

わが村は,百戸あまりの小さな山間農村。それでも1960年頃までは,立派な小学校や,生活用品がほぼそろう農協(兼郵便局)があり,商店も5軒ばかりあった。村祭りや,いくつもの小さな神社や祠の祭事があり,農閑期には囲碁将棋や盆栽,芸事,釣りといった遊びや趣味が盛んであった。村には神仏があふれ,時間と多彩な文化があった。

▼小学校跡と古道破壊高速道路

これは,私が通っていた小学校の跡。ほんの数十年前まで,ここには立派な由緒ある木造校舎があり,百数十人の生徒が通っていた。春は前の用水路で魚取り,夏は裏の小川を堰き止めた簡易プールで水泳,秋には村総出の運動会,冬は校庭で雪合戦。子供にも大人にも時間はたっぷりあり,遊び文化があふれていた。

この小学校の横を通る小路は,裏山を越え,天橋立・宮津へとつづく古くからの交易路であった。路傍にはお地蔵さんや水飲み場などがあり,春には桜,秋には紅葉で美しく彩られ,夢見心地で遠足を楽しんだものだ。大内峠,それはわが村の歴史と文化の古道であった。

それらが,ほんの数十年の高度成長経済のおかげで,ほぼすべてなくなってしまった。小学校も,神社・祠の多くも,フナやナマズの小川も。そのかわり,有り難いことに,カネにもならない古道・大内峠はブルによりあっという間に掘り崩され,近代的な高速道路に変わり始めた。わが村にも近代資本主義の光明が射し始めたのだ。

▼自然破壊高速道路

これは,子供の頃,友達と毎日のように出かけ,魚取りや水泳で遊んだ小川。信じられないだろうが,当時は,小学生や中学生,そして高校生にすら,時間は有り余るほどあった。こんな小さな小川でも自然は無限に豊かであり,新しい発見や工夫で,いくらでも遊べた。

▼工業団地予定地付近

ところが,この岸辺にもブルが入り,風景は一変した。ここには高速道路の出入口ができ,予定では工業団地となる。「時は金なり」。有り難いことに,高速道路による時間短縮で,丹後での生産も採算がとれるようになるらしい。

村の自然と時間は,カネにはならない。無用の自然と時間を放棄することにより,なにがしかのカネが村に落ちることになる。「人からコンクリートへ」とは,そのようなことらしい。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/06/27 @ 20:50

カテゴリー: 経済, 自然, 文化

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