ネパール評論

ネパール研究会

信号機、ほぼ全滅(5):王宮博物館前

1.王宮博物館前交差点
ネパールの信号機は、これまで見てきたように、ほぼ壊滅状態。目抜き通りの王宮博物館前交差点でも、信号機はたいてい消灯、かろうじて点滅で生きているときも、実際には、交通警官の指示で交通整理されている。だれも点滅信号など、見てはいない。

この交差点で、日本から学んだと思われるのが、警官看板。なんとロータリーに、敬礼している婦警さんの等身大写真看板が設置されており、ドライバーを一瞬ドキッとさせる効果を上げている。

本物の男性警官が横で交通整理しているのだが、察するに、いずれ様子を見てこれも警官人形に置き換え、いつかは信号機に絶対服従させる魂胆らしい。

121201e ■王宮博物館前交差点

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 ■ロータリーの交通警官/婦警写真看板

2.交通マナー向上キャンペーン
このように、信号機ほぼ壊滅状態にもかかわらず、交通警察はなお意気軒昂であり、交通マナー向上の大キャンペーンを繰り広げている。

121201c ■交通安全ゲート

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 ■交通安全啓発写真/交通安全ポスター

3.ラトナ公園北西角交差点
こうした交通警察のキャンペーンのモデルになりそうなのが、ラトナ公園北西角・ラーニポカリ南西角の交差点。

この交差点には、かなり前から地下道と歩道橋があったが、どちらもあまり利用されていなかった。ときどき騎馬警官が出て路上横断の歩行者をしかりつけていたが、観光客の被写体とはなっても、交通マナー向上には全く役には立たなかった。

ところが、この11月、何回か行ってみると、見た限りでは、この交差点の路上横断者は一人もいなかった。全員が、歩道橋か地下道を利用していた。奇跡だ。

121201d ■歩道橋(右上)と地下道(赤丸)

4.「法の支配」の必要
推測にすぎないが、これは交通警察のお説教や大キャンペーンの効果というよりは、やはり「必要」に迫られたからということであろう。

日本でも、高速道路が開通すると、しばらくは路上にカラスやハトのおびただしい死骸が散乱している。高速車両を回避しきれず、轢かれてしまったのだ。ところが、数ヶ月もすると死骸は少なくなり、数年後にはほとんど見なくなる。人間が勝手につくったものとはいえ、高速道路利用マナーを認識しないカラスやハトはあらかた轢き殺されてしまい、必要に迫られ、それを学習したものだけが生き残り、路上でエサをついばんでいるからだ。

これが犬ともなると、必要による学習は、より明確だ。ネパールの犬は交通規則を全く守らないが、日本の犬は交通規則を学習し、青で進み、赤できちんと止まる。そうしないと、日本では生きていけないからだ。

人間も所詮、動物、これと同じような現象がラトナ公園北西角の交差点でも起きたのではないか? この交差点を通行する車は、数が多く、しかも高速だ。おそらく、この交差点を横切ろうとした人々が次々と車に轢かれ、それを見た周辺の人々が危険を学習し、歩道橋や地下道を利用し始め、そうすると車もますます高速となり、もはや歩行者の車道横断は困難となり、自ずと人と車の分離通行規則が実現された、ということであろう。

そして、「人の支配(ロータリー文化)」から「法の支配(信号機文化)」への転換が完成したところでは、轢かれたら、車道横断者の方が悪い、法(規則)を守らなかったからだ、ということで済まされてしまうことになるのだろう。

5.必要の学習は高貴か?
この変化、すなわち「ロータリー文化」」から「信号機文化」への変化あるいは「人の支配」から「法の支配」への変化は、たしかに必要ではあろうが、しかしながら、本当にそれは「進歩」といえるのであろうか? 

かつて、東北の厳冬の深夜、人っ子一人いない田舎道の交差点で、青信号に変わるのをじっと待っている犬を見たことがある。文明化ないしは規律の内面化とは、結局、このようなことではないか? 車に轢き殺されるハトと、交通マナーを守り路上でエサをついばむハトと、いずれが高貴なのであろうか?

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/12/04 @ 17:45

カテゴリー: 社会, 文化

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