ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

現代の失業と不幸,前近代の無失業と幸福

谷川昌幸(C)

1.大阪で失業,餓死
1月14日,大阪住吉区で中年男性が,餓死した。派遣解雇後,約1年間失業,冷蔵庫は空,彼の胃腸も空,財布には90円だけ。無停電・無スト・飽食日本で,失業による飢餓・餓死が発生した。

餓死そのものは,以前からあったが,どちらかというと別の理由での救済拒否が大半だった。しかし,最近のそれは違う。現代社会が失業を構造化し,人々を追い詰め,餓死へと追いやっているのだ。

2.「暗黒の中世」の無失業
西洋中世には,まだ電気はなく,したがって夜は真っ暗だったが,しかし,失業者は一人もおらず,人々はそれぞれの社会的存在意義を認められていた。
 *ラブジョイ『存在の大いなる連鎖』参照

中世にも,もちろん不幸,悲惨そして餓死はあった。しかし,それらは社会が人々を無能,無用な落伍者として社会外に放棄したからではなかった。(村八分,「楢山節考」,カースト追放などもあるが,ここは単純化して議論する。)

たとえば,中世には「魔女」がいたが,中世の魔女は社会的役割をちゃんと認められており,決して不幸ではなかった。魔女が社会から糾弾され,裁判で拷問・虐殺されたのは,むしろ近代に入ってからだ。

中世はケシカラン身分社会だが,すべての人に社会的役割を与え,一人として失業者を出さなかったのは,エライ。魔女ですら,「箒で空を飛ぶ」という,立派な仕事を割り振られていた。

3.無失業相互扶助の村落共同体
これは,中世が社会を生命有機体とみていたからだ。共同体思想といってよい。だから,社会が共同体と考えられているところでは,たとえ現代においても,失業者はゼロとなる。

たとえば,高度成長期以前のわが村は,百戸余の小さな集落だったが,この村には失業者は一人もいなかった。そして,全員がそれなりの生活をしていた。

当時,村には障害者の方がいたが,彼にも村が仕事を割り振り,生活を支えていた。また,あるとき,ある人が破産したが,そのときは,村人がすべて協力して最低限度の生活は維持できるように支援した。

村共同体には,因習的,閉鎖的など,現代人には耐え難い問題があるが,その反面,無失業,相互扶助など,学ぶ点も多い。

4.光が「子供」をつくり,殺す
ところが,万人社会参加の「暗黒の中世」に近代化の光が差し始めると,光を持たない人,持てない人は,光明の文明社会に入る資格のない者とされ,社会から排除され,失業者となり,そして餓死に追いやられる。

この点でまず注目すべきは,子供だ。じつは,驚くべきことに,中世には「子供」はいなかった。人は,オムツがとれると,すぐ仕事を与えられ,大人と一緒に働き始めたからだ。

しかし,近代はそれを許さない。近代社会は光=理性を持たない者を受け入れないからだ。むろん,赤ちゃんがすぐ理性を持つはずがない。そこで,理性を獲得するまでの猶予期間として「子供」時代が発見されたのである。
 *アリエス『<子供>の誕生』みすず書房,参照

だから,子供たちは,学校に行き勉強をする限りにおいて,その存在意義を認められるが,勉強ができなかったり学校に行かなかったりすると,存在意義を否定され,結局,自殺に追い込まれてしまう。光が子供をつくり,追い詰め,不幸にし,そして殺すのだ。

ネパールの教育支援も,この教育の二面性を考慮しなければならない。伝統的な農村社会の子供労働は,厳しく苦しいものではあるが,精神的には決して不幸なものではなかった。子供たちはみな何らかの役割(仕事)を与えられていたからだ。

ここに教育支援で光を持ち込むと,近代的な「子供」が規範化され,学校に行かない子,行けない子は「落伍者」のレッテルを貼られ,存在意義を根底から否定され,生きられなくなる。

勉強ができないこと,学校に行かないことが,本当に悪なのか? 学校教育なんか受けなくても,前近代社会の人々は社会の中で自然に学び,成長し,それなりに幸福に暮らしていたではないか。

学校教育なんかに,命をかけるほどの意味はない。いやになったら,学校を捨て,自然に帰ろう。

5.光が賃労働をつくり,失業と餓死を生む
近代の光は分析=分解の光であり,これは本来統一してあるべき全体を分解し,それぞれの機能を明らかにし,意義づけるものだ。

近代の光は,中世の生命有機体としての社会を個人に分解し,その個人を人と市民,人と労働者(労働力)に分解した。
 *フランス人権宣言は,正確には,「および市民の権利宣言」。

この光は倫理的にはキリスト教(プロテスタント)の神の光であり,これは人間に「労働」を命令する。人は神の声=光に従うなら,勤勉に労働し神の栄光に寄与しなければならない。この「労働」はその結果として「財産」を生むから,人がどの程度神の光を受けているかは「財産」の量により科学的に測定され,評価される。

逆に言うなら,財産なき者は,神の命令に反し,まじめに働かなかった理性なき怠け者であり,したがって「市民」には値しない。

こうして,蓄財が神の命令となり,資本主義がキリスト教により正当化され,推進されることになる。そして,やがて蓄財の方法も全面解禁され,他人を賃労働者として雇用して儲けることも,金に金を生ませ(利子で)儲けることも,すべて神を喜ばせることとなった。
 *M.ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』参照

だから,資本家が利潤極大化のため,労働者をその労働能力だけにより選別し,できるだけ有能な者を安く雇用しようとするのは,当然である。

その結果,当然,能力(理性)不足で雇用されない者,つまり失業者も発生する。しかし,それは理性なき労働者の自己責任であり,資本家にとっては,失業者が多ければ多いほど,それだけ安く労働者を雇用できるのだから,失業はむしろ望ましいことになる。

こうして近代の神の光が,資本主義を生み出し,資本主義が失業を生み出したのだ。

ここで恐ろしいのは,近代の光の下では,失業は理性なき本人の自己責任となることだ。失業者は,神の命に背く怠け者であり,社会の落伍者であり,市民失格,人間失格だ。失業者には,賃金引き下げ効果はあるが,それ以外の存在意義はない。

現代社会の失業は,たんに貧困をもたらすだけではない。飽食の現代,食うだけなら誰にでもできる。失業がつらいのは,それが人間性否定,人間としての存在意義の否定となり,生きる意味を失ってしまうからだ。だから,たとえ食えても,自殺や覚悟の餓死を選ぶことになる。

6.福祉国家の崩壊
この弱肉強食資本主義に対しては,かつては社会主義と福祉国家が別の選択肢として存在した。ところが,1980年代以降のクローバル資本主義の勃興により,社会主義はほぼ絶滅し,福祉国家も,西欧ではまだ健在だが,少なくとも日本では急速に衰退し,崩壊へと向かっている。

教育現場の惨状は前回紹介した。卒業生100人のうち,正規教員採用2名,非常勤教員採用43名の国立大学教育学部さえある。

中央省庁の職員も,4万人のうち1万3千人が非常勤(朝日1/17)で,使い捨て。民間の派遣解雇は,なだれ状態,もはやなすすべもない。

国民年金納付率は約64%(2007年度,朝日8/7),国民健康保険納付率も約80%(朝日1/17)。最後の頼みの綱である生活安全保障も,あちこちでほころび,もはや崩壊寸前だ。

セーフティネットを失った現代社会と,近代的自由なき前近代社会。それぞれの功罪を,先入観なしに学んでみる秋であろう。

Written by Tanigawa

2009/01/17 @ 19:50

カテゴリー: 文化

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