ネパール評論

ネパール研究会

青年ネパール,老年日本

国家(state)・国民(nation)は,全体として,一つの身体・生命・精神をもつ人間にたとえられることがある。一人の人間と同様,国家・国民も,生まれ,生長し,老い,そして死んでいく運命にある。

では,日本はどうか? いうまでもあるまい。日本の国家・国民は老い,いまや「後期高齢者」となってしまった。人口構成が高齢化しただけなら,まだしも救いはある。より深刻なのは,精神の老化だ。

たとえば,この4月は統一地方選だが,選挙はいたって低調。知事選は自公民相乗り候補多数,道府県議会は立候補者が定数以下で無投票となった選挙区が33.4%。選挙となっても,実際の競争は激しくなく,大半は微風程度だ。(下記参照)

日本では国政も地方政治も,少子高齢化,過疎化,貧富格差,財政危機,軍国主義化等々,いまや問題だらけなのに,国民の多くは見て見ぬふり,選挙に関心を示さない。街も村も,テレビも新聞も,いたって静か,選挙など,あって無きがごとき。平和そのもの。

150412■形骸化した選挙

日本人は,青年も壮年も老人も,みな精神的に老いたのだ。学生運動も労働運動もいまや死語。首相が集団的自衛権を唱え自衛隊を「わが軍」と呼ぼうが,労働者保護を緩め,社会保障を削減しようが,反対らしい反対はほとんど見られない。自由や権利を「不断の努力によつて」保持する(憲法12条)気力が萎えてしまったのだ。

日本国民も,青年・壮年期には,そうではなかった。学生も労働者も市民も,問題があれば,積極的に立ち上がり,抗議し,闘った。デモ,ストはいたるところで行われ,バスや鉄道も止まった。もちろん学校も休み。国民がまだ若く,未来があったからだ。

それも今や昔。日本国民は老い,そのために闘うべき未来がなくなった。今日,明日さえ平穏であれば,それ以上は望まない。5年後,10年後のことなど,知ったことではない。

これとは対照的に,ネパール国民はまだ若い。まばゆいばかりの未来がある。だから,何かあれば,過剰と思えるほど反応し,未来のために闘う。議会も街や村もキャンパスも闘いに充ち満ち,ストやバンダ(ゼネスト)は日常化している。

選挙も真剣だ。4月10日投票の制憲議会補欠選挙(バグルン1区,定数1)には,13人(10政党と無所属)が立候補し,投票率73%であった。(NC候補CD・カドガ当選)ネパール国民は,まだ憲法にも選挙にも期待しており,政治への希望を失ってはいない。

ストもバンダも,しょっちゅうやられると,たしかに迷惑だ。が,老化日本の無気力ニヒリズムに比べるなら,少なくとも若さが,未来がみてとれ,そこに希望と救いがあるといってよいだろう。

【参照】統一地方選投票率(%,朝日&毎日4月13日朝刊)
福岡県知事選 38.85
広島市長選 42.78
道府県議選:千葉 37.01 埼玉 37.68
名古屋市議選 36.57
無投票当選:道府県議選 33.4(総定数の21.9)
  香川県議選 定数の65.9
  山形県議選 定数の45.5
  宮崎県議選 定数の43.6

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/04/12 @ 18:49

カテゴリー: 政治, 人権

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