ネパール評論 Nepal Review

ネパール研究会

セピア色のネパール(3):マルクス・レーニン・毛沢東と古来の神仏たち

ネパールに初めて行った頃,街でも村でも,共産主義の様々なシンボルやプロパガンダがヒンドゥー教や仏教の神仏たちと,いたるところで並存・混在しているのを見て驚いた。まるで共産主義が神仏と共闘しているかのようだ。

日本でも,かつて革新勢力の牙城だった京都が,これに似た状況にあった。京都には古い寺院が多く,確固とした伝統と地域社会への影響力を保持していた。また一方,京都には大学も多くあり,庶民に京都の誇りとして一目置かれ,大切にされていた。その京都の大学では当時,社会主義や共産主義を支持し活動する教職員や学生が多数いたが,庶民は「大学さんやから」とこれを黙認し,あるいは支持さえしていた。京都では,本来異質な伝統的宗教と革新的社会主義・共産主義が平和共存していたのである。

その京都を目の敵にし,京都への強権的介入を始めたのが,自民党政権。が,この中央からの介入は,誇り高き京都の逆鱗に触れた。京都の寺院勢力と社共革新勢力は,自民党中央政府への抵抗・反対で利害が一致し,従来の消極的平和共存の枠から一歩外に出て,陰に陽に「共闘」することになった。他地域から見れば,これは無節操な「野合」かもしれないが,政治的には実利があり,その限りでは十分に合理的な選択であった。

この京都の状況を見ていたので,ネパールにおける共産主義と神仏の並存・混在それ自体には驚かなかったが,ネパールにおけるそれは京都の比ではなかった。いたるところで,仏陀とその弟子やヒンドゥーの神々たちが,マルクス・レーニン・毛沢東・ゲバラらと相並び,庶民を見守っていたのだ。

政治的打算や実利は,むろん双方にあっただろう。が,実際にはそんな表面的なものではないことが,すぐに判った。多くの人々が,伝統的なヒンドゥーや仏教の生活様式ーーカースト制などーーを堅持しつつ,同時に他方ではマルクス,レーニン,毛沢東,チェ・ゲバラらのスローガンや肖像をかかげ,行進したり集会を開いたりしていた。たとえば,当時の「共産党‐統一マルクスレーニン派」も,正統的中道の会議派(コングレス党)以上に,ヒンドゥー王国の守護者たる王族と近い関係にあった。左手に共産党宣言,右手に古来の経典!

ネパールは,政治的にも「神秘の国」だったのだ。

■カトマンズ市内 1993年8月

谷川昌幸

Written by Tanigawa

2022/08/30 @ 17:02

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