ネパール評論

ネパール研究会

ネパール憲法AI探訪(20): 国旗の図像学(7)

5.ネパールの3角形国旗[続]
(2)シャハ王家の旗
ネパールが「国旗」を必要とするようになったのは,当然ながら,プリトビ・ナラヤン・シャハが国家統一し「ネパール国家」が成立して以降のことである。

シャハ家は,16世紀半ば以降,王家としてゴルカを統治してきた。王家はもともと「月のラージプート(chandravanshi, 月種族)」であったが,ゴルカ王国の旗は,宝剣を挟んで三日月と太陽が描かれた単一の三角旗であった。したがって,おそらく,この王国の旗とは別に,月だけを描いた王家の旗も早くからあったのであろうが,いまのところ詳細不明(王家3角旗の作成使用は,後述のラナ家3角旗とセットかもしれない?)。

240421aゴルカ王国旗 240421bシャハ家旗

いずれにせよ,このシャハ家のプリトビ・ナラヤン・シャハが1768年,国家統一すると,当然ながら,新生ネパール国家そのものの旗,つまり「ネパール国旗」が必要になる。

が,残念ながら,「ネパール国旗を誰が創ったかを知る人は一人もいない」(Dan Nosowitz, “Decoding the Unusual Shape of the Nepali Flag,” 2018/09/03)。

(3)ラナ宰相家の旗
シャハ王家の「月」に対し,ラナ家の方は,「太陽のラージプート(suryavamshi,日種族)」として,「太陽」を自らのシンボルとしていた。

ラナ家の先祖はクンワル家で,ゴルカ王国でシャハ王家に軍人として仕えていたが,シャハ王家によるネパール統一後,首都となったカトマンズに王家とともに移った。

ところが,シャハ王家は,国家統一したものの,統治が安定せず,権力争いが激化した。その中で頭角を現したのが,クンワル家。ライバルを次々と排除していき,ついに1846年,ジャンガ・バハドゥル・クンワルが宰相(首相)に任命され,実権を掌握した。そして同年,国王より「ラナ」姓をも授けられ,名実ともに「ラナ宰相家統治」を始めた。このラナ宰相家統治は,「ラナ家専制」などとも呼ばれ,1951年まで1世紀余も続く。

このラナ宰相家の旗が,太陽を描いた3角旗だが,この旗も起源不明。宰相家統治開始前後に,王家3角旗と対で定められ使われ始めたのかもしれない。
240421cラナ宰相家旗

いずれにせよ,この種の太陽や月を描いた3角旗そのものは,インド大陸で古くから多数見られるので,シャハ王家もラナ宰相家もその古来の伝統にのっとって自家の旗を決め,早くから使用していたのかもしれないが,詳細は不明。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2024/04/22 @ 08:45