ネパール評論

ネパール研究会

英語からネパール語を守れ,ネパール首相

ネパールアカデミー主催「ネパール語セミナー」開会式において,マダブクマール・ネパール首相が,英語からネパール語(the Nepali language)を守れ,と檄を飛ばした。

標準ネパール語を発展させよ。次世代へ正しい言語を伝えるのがわれらの義務だ。誤りを正すことなくネパール語を放置すれば,新しい世代はそれを正すことができなくなる。」(ekantipur, Jan 12)

首相によると,問題は英語の侵入。それを防止しネパール語を守るために,ネパール語文法を確立すべきだというのである。

このネパール首相の檄に,ミネンドラ・ラジャル文化相も賛成し,アカデミーと協力し,標準ネパール語の確立に努力する,と約束した。

さすがネパール首相は偉い。ネパールへの英語侵入を憂い,ネパール文化の中核,ネパール語の擁護に回ることを宣言したのだ。

明治日本のやったように,文法(文章ルール)を確立し,正しい国語=標準語を普及させるのが,近代国家の常套手段である。ところが,ポストモダンの現代において,ネパールや他の途上国がそれをやろうとすると,これは世界の市場社会化を目指す先進諸国にとってはいささか都合が悪い。そこで,先進諸国は,自分たちの多文化主義と英語帝国主義をご都合主義的に使い分け,途上国の「国語」政策を時代遅れ,反民主的と非難し,撤回させようと巧妙に働きかけてきたのだ。ネパール首相は,おそらくこの先進諸国の二枚舌政策を見抜き,反撃に出たのだろう。

先進諸国は,すでに1980年代末頃から,ネパール言語政策に介入しはじめていた。多民族=多言語主義を喧伝し,「ネパール国語」を相対化し,「ネパール国民」の文化的統一性を解体することによって,言語の自由市場化を促進すること,これが先進諸国のねらいであった。この言語自由市場化は何をもたらすか?

いうまでもない。市場社会でもっとも有利な言語,つまり英語の勝利だ。初等教育における母語教育権が認められようが,少数言語放送が行われようが,そんなことは英語帝国主義のアリバイ,恥部を隠すイチジクの葉にすぎない。マイノリティが,いくら自民族の言語を学ぼうが,せいぜい身内で使うぐらいで,外の社会では何の役にも立たない。目先の利く利口な親なら少数民族言語など学校で習わせたりはしない。外で役に立つ言語,英語を習わせるはずだ。こうして,ネパールでは,伝統的カースト制に代わる新しいカースト制,つまり一流言語=英語,二流言語=ネパール語,三流言語=諸民族語という強固な言語カースト制が出来つつあるのである。

いまネパールでは,有力者,富裕層は競って子供たちをEnglish schoolに通わせている。共産党幹部も少数民族リーダーたちも例外ではない。民族自治やマイノリティの権利擁護を謳いながら,彼ら,幹部たちはあさましくも英語帝国主義にしっぽを振り振り,自分の子供たちを保育園からEnglish schoolに通わせ,英語漬けにして恬として恥じるところがない。鉄面皮きわまりない。

ネパール首相は,この英語帝国主義の侵入に反撃を加えようとしている。たしかに「国語」「文法」「標準語」は,近代国民国家のイデオロギーであり,国内少数派言語の抑圧になる側面がある。多文化主義全盛の現在からみると,反動といってもよい。しかし,反動覚悟でいうならば,英語(米語)帝国主義への卑屈な屈服よりは,国語擁護の方がはるかに文化的であり,愛国的である。

ここで気になるのが,ネパール首相のご家族,ご親族のことだ。まさか,お子様たちをEnglish schoolに通わせたり,西洋諸国に留学させたりはされていないでしょうね?

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/01/12 @ 15:50