ネパール評論

ネパール研究会

正義なき真実: 真実和解委員会の難しさ

「正義なき真実(truth without justice)」――まるで「熱い氷」のような形容矛盾。「正義なき平和(peace without justice)」ならあり得るし,現実に無数ある。ときには,正義よりも平和を求めるべき場合さえ,少なくない。しかし,「正義なき真実」,そんなものが本当にあるのか?

Robert Godden, “Truth without justice is an insult,” Nepali Times, 1 -7 June 2012

R.ゴデンが,この記事で,あるはずもない「正義なき真実」だとして厳しく批判しているのは,政府が目論んでいる「真実和解委員会(TRC)」と「拉致不明者調査委員会」の骨抜き。

先の人民戦争では,分かっているだけでも1万数千人の死者,千数百人の行方不明者が出ている。 政府軍(王国軍・武装警察隊)と人民解放軍との交戦の犠牲者のほかに,両陣営による拉致・拷問による死者,行方不明者も少なくない。

人民戦争は,国内勢力同士のゲリラ戦であり,国家間の正規戦とは異質の深刻な悲惨をもたらした。自国民,近隣住民,あるいは身内が敵味方となり戦い,あげく疑心暗鬼にとらわれ,多くの人々をシンパ・スパイ密告などの容疑で拉致・拷問し,殺し,あるいは密かに遺棄した。人権侵害であり,戦時国際法・国際人道法に照らしても違法な場合が少なくない。

人民戦争終結(2006.11)後,戦争犠牲者の家族たちは,こうした人権侵害や戦時国際法違反,あるいは行方不明者を調査し,加害者の責任を解明し,厳正な処罰と補償を求めてきた。

これは,いうまでもなく正当な権利回復要求だが,難しいのは,加害者・被害者が同国人であり,しかも知人や近隣住民であることが少なくないこと。被害者の側はいつまでも忘れないし,そうかといって事実解明を進めると,直接的あるいは間接的に責任追及される関係者が増えてくる。内戦・ゲリラ戦だから,責任追及される側にもそれなりの言い分がある。それを押して,あくまでも犯罪事実を解明し,厳正に処罰することにより正義回復を図ろうとすれば,その責任追及により新たな憎しみが生み出され,紛争再燃にもなりかねない。

したがって,処罰による正義回復ではなく,犯罪事実を調査解明し,加害者がその事実を認め,心から謝罪し,これを被害者側も受け入れるなら,処罰を行わないという南アの真実和解委員会の考え方は,そうせざるを得ない厳しい状況があるところでは,現実的な有効な平和実現方法であるといってもよいだろう。罪と罰の均衡による正義実現より,和解による平和である。

人民戦争後のネパールも,現象的には,この真実和解委員会方式による和解・平和再建が望ましい状況のように見えなくもなかった。そして,少なくとも西洋=国連助言者らにはそのように見えたらしく,功を焦る彼らは勇んで真実和解委員会を暫定憲法の中に書き込ませた。

暫定憲法第33条(S) 紛争中の重大な人権侵害や人道犯罪に関与した者について,事実を調査し,社会における和解の環境を作り出すための高レベル真実和解委員会を設置すること。

この暫定憲法規定に基づき,政府は2009年末までに「真実和解委員会法案」と「行方不明者調査委員会法案」を提出し,立法議会で審議を始めた。しかし,これらの法案については,やはり「免罪(amnesty)」が問題になった。一方には,人権侵害・人道犯罪を厳しく処罰せよという要求があり,他方には,和解平和再建のため広く免責せよという要求があった。その結果,真実和解委員会法案は,ICTJの要約によれば,次のような規定になった。

真実和解委員会法案第25条 重大な人権侵害・人道犯罪であっても,政治的な動機に基づき行われた場合,殺害方法が非人道的ではなく,かつ十分な反省が見られるならば,処罰を免除される。(要旨)

たしかに,処罰による正義回復ではなく,事実解明―反省・謝罪―受け入れ―処罰免除―和解を目標とするなら,このような規定を置かざるを得ない。しかし,他方,もしこのような規定を置けば,マオイスト・政府双方の人権侵害・人道犯罪がすべて免責されてしまう恐れがある。結局,この法案への合意はならず,管見の限りでは,そのまま店ざらしとされてきたようだ。

ところが,ここにきて,「真実和解委員会法案」と「行方不明者調査委員会法案」を取り下げ,別の法案をだす動きが出てきた。その新しい法案では,あいまいとはいえ原案にはある免罪制限がほぼ削除され,人民戦争中の人権侵害や人道犯罪を事実上すべて免責できるようにするものらしい。人民戦争中のことを蒸し返せば,マオイストはむろんのこと,国軍・警察あるいは役人,さらにはNC,UML,RPPなど政党政治家らも責任を問われかねない。5年もたったのだから,そろそろ水に流し,仲直り(平和)を実現しようというわけだ。

R.ゴデン「正義なき真実は侮辱」は,犠牲者の側にたち,この全面免罪への動きを批判したものだ。「正義なき真実など論外だ,受け入れられない」(拉致不明者家族全国ネット代表)。その通りだと思う。が,その一方,事実解明,責任者処罰の難しさも,よく分かる。

これは,悲劇である。内戦・ゲリラ戦の残酷さは,想像を絶する。やりきれない思いだ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/06/05 @ 15:29