ネパール評論

ネパール研究会

“We-perspective”の再構築: Dev Raj Dahal

1.We-perspective
ネパールにとって、”we-perspective”の再構築は、知識人や政治家が目を向け、誠実に取り組むべき重要課題である。日本とは逆だ。

日本人にとって、「われら日本人」は本性であり、何かことが起こると、一気に顕在化し、他を圧倒し、それ一色となる。たとえば、昭和天皇崩御前後の日本。思い返すたびに、ゾォーとし寒気がする。「一億総自粛」、誰が命令したのかよくわからないのに、自粛の雰囲気に反することは、一切できない。戦後民主主義など屁みたいなもので、総自粛全体主義が全国隅々まで遍く支配した。日本人は、世界に例を見ない恐ろしい民族だ。

2.国民統合以前のネパール
ところが、ネパールでは「国民主権」や「国民統合」がいくら叫ばれようが、内面化された「国民」意識は生長しない。1990年と2006年の「人民運動」も、諸集団のエリートによる「大衆動員」の性格が強かった(異論もあるが)。ネパールには、近代的な「国民意識」はまだ存在しない。

3.ポストモダン批判
現在のネパールの混乱は、この近代的国民意識未成立の国にポストモダン包摂民主主義を持ち込んだところに、根本的な原因がある。したがって、ネパール平和再構築には、この点への反省が不可欠であるが、最近になって、ようやく、そうした観点からの議論が見られるようになってきた。たとえば:

■Dev Raj Dahal, “Condition of Politics and Law in Nepal,Opening Democratic Discourse for Conflict Resolution,” AAMN Research and Policy Brief: 08, 2012

4. われわれ意識と共同善
「一般に、”制憲運動”においては、市民とリーダーたちは、個別利害を棚上げにし、包摂的な”われわれ意識(we-perspective)”を持つことにより共同善を制度化する。主権者たる国民は、リーダーたちに対し、”われわれの観点(we-perspective)”を採ることを義務づける。」(Dahal)

5.ニスカム・カルマと普遍的公共性
「ネパールの法制度は、ニスカム・カルマ(無私的行為義務)に基づくネパール社会の伝統と、人権・民主主義・公共性の普遍的基準の間で、バランスを取らなければならない。この二つの間には、・・・・構造的な対立はない。」(ibid)

「ところが、ネパールのポストモダン主義者たちがいま主張しているのは、民族・階級・地域・人種を絶対視する政治であり、そうした政治は、ネパールの歴史的進歩発展を否定し、ネパール人を主権的国民ではなく、社会諸集団や利益諸集団に分解し、そして結局は、ネパール人から国民性と普遍的人類帰属性を奪うことになるものである。」(ibid)

「公共的な法・教育・学問は、単一アイデンティティ決定論に基づく原理主義を抑制する能力と、大衆に向け公共性の理性的構築を訴えかける力をもたなければならない。不平等是正は、アイデンティティ問題にまで極端化させることなく、また社会的協力や平和的共存を困難とするほどまでに硬直化させることなく、政策的解決をはかられるべきである。」(ibid)

6.ポスト・ポストモダンの政治
この論文は、かなり難解であるが、主にハーバーマスに依拠しながら、アイデンティティ政治によりズタズタに分断されつつあるネパールを、一つの近代的、あるいはより正確にはポスト・ポストモダン「国民」として再構築しようとする新しい試みの一つとして注目される。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/08/05 @ 19:03

カテゴリー: 憲法, 政党, 民主主義

Tagged with , , ,