チティパティに魅せられて(2)
こちらのチティパティ・タンカは,さらにシンプルであり,好ましい。仏教知識皆無で専門的な絵解きはできないが,それだけにかえって邪念なしに,絵そのものを見ることができる。
この男女は骸骨であり,当然,死んでしまっているが,それにもかかわらず歓喜にあふれている。
近代の哲学者,ホッブスは,死を最大苦=最大悪と考え,死を防止するための主権国家リバイアサンを構想した。このように,近代人にとって死は如何ともしがたい宿命ではなく,人為により最大限防止すべきものとなった。医学をはじめ近代諸科学の目標は,死の克服である。
このようにして,神仏の加護ではなく,人為による死の克服が目標になると,現実の死はとりあえずカッコ(病院など)にいれ,日常生活においては,できるだけ見えないようにされる。あたかも死が存在しないかのような生活が,一般化したのである。
しかし,これは根拠なき生の永続幻想である。そのため,近現代人は,そこはかとない不安に常につきまとわれ,生の無上の歓喜を味わうことが出来なくなってしまっている。
ところが,チティパティの男女は,ホッブス流の最大苦=死にもかかわらず,歓喜雀躍している。あるいは,この男女は,骸骨になっているにもかかわらず性行為中のようであり,もしそうなら,生(性)から死まで,すべてを悟得して,そこに無限の歓喜はあるといっているのかもしれない。
いずれにせよ,この骸骨男女の表情は,すばらしい。無邪気な歓喜にあふれている。骸骨なのに,生者より生き生きとしている。彼らを見ると,見返され,つい微笑まざるをえない。このような満面の笑みをもって死を迎えられたら,これに勝る幸せはあるまい。
谷川昌幸(C)
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