ネパール評論

ネパール研究会

愛国者必読: 施光恒『英語化は愚民化』

日本の英語化は,安倍政権と財界の共通の教育目標である。日本社会の英語化によって,安倍首相は「美しい日本」を取り戻そうとし,日本財界はグローバル競争に勝ち抜こうとしている。

単に口先だけではない。安倍首相は国連演説など機会あるごとにカタカナ英語(米語)で演説し失笑を買っているし,企業独善経営者たちも英語社内公用語化で社員の面従腹背を招いている。

小学生にもわかることだが,敵性言語の使用によって日本国の「美しい伝統」が取り戻せるはずはなく,また日本企業が「日本」企業でありつつ他国企業との競争に有利となることもない。日本の英語化は,英語帝国主義(English Imperialism)への日本の卑屈な自発的従属であり日本の英語植民地化に他ならない。

このことを明快な日本語で的確に指摘し警鐘を鳴らしているのが,この本:
施光恒『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』集英社新書,2015

書名にも,著者の危機感がよく表れている。少々過激と感じられるかもしれないが,議論はきわめて合理的であり,説得力がある。(要旨下掲表紙カバー参照)

想像もしてみよ。自分が日々聞き話し,読み書きし,そして考えるその言葉によって,すなわち自分自身の母語によって,自分が生まれてから死ぬまで,生活のあらゆる場で,文化的に,社会的に,政治的に,そして経済的に差別される日が来ることを! それは,第二の自然となってしまった構造的差別,ないし宿命的「言語カースト制」といってもよいであろう。

むろん,この本にも,触れられていない論点がいくつかある。そのうち最も重要なのが,現在の日本語(標準語)も,日本各地の様々な地域言語(いわゆる方言)を権力的に弾圧禁止することによって人為的に創り出された「国語=国民語=国家語」であるということ。

この国家公認「国語」による地域言語弾圧,すなわち「標準語化」政策は,本書で批判されている「英語化」と,論理的には同じものだ。したがって,「英語化」政策批判は,「国語化」政策に対する自己批判を踏まえたものでなければならない。

本書では,おそらく新書ということもあって,日本自身の国語化政策,標準語教育への自己批判は,割愛されている。そのことさえ踏まえておけば,本書は,水村美苗『日本語が亡びるとき:英語の世紀の中で』(筑摩書房,2008)とともに,日本の愛国者がいまひもとくべき必読書の一つといってよいだろう。

【参照】書評:水村美苗『日本語が亡びるとき』 英語帝国主義 安倍首相の国連演説とカタカナ英語の綾 安倍首相の怪著『美しい国へ』

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<英語化を進める大学に巨額の補助金を与える教育改革から、英語を公用語とする英語特区の提案まで。日本社会を英語化する政策の暴走が始まった。英語化推進派のお題目は国際競争力の向上。しかし、それはまやかしだ。
社会の第一線が英語化されれば、知的な活動を日本語で行ってきた中間層は没落し、格差が固定化。多数の国民が母国語で活躍してこそ国家と経済が発展するという現代政治学の最前線の分析と逆行する道を歩むことになるのだ。「愚民化」を強いられた国民はグローバル資本に仕える奴隷と化すのか。気鋭の政治学者が英語化政策の虚妄を撃つ!>
[本書表紙カバーより]

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/12/27 @ 13:09

カテゴリー: 経済, 言語, 教育, 文化,

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