ネパール評論

ネパール研究会

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(7)

4.動物供儀擁護派の主張
  (1)マンガル・チョーダリ

(2)ラムチャンドラ・S・テリ(ガディマイ寺院運営委員会議長)
「われわれは,人々に供儀動物を連れてこいとは言っていない。人々が自分たちで連れてきたのだ。人々は伝統を守り,その結果,祭りがこれほど盛んになった。われわれとしては,大量の動物供儀を支持しもしなければ反対もしない。」(*12)
(3)ビレンドラ・ヤダブ(ガディマイ祭実行委員会事務局)
「人々は,動物を連れて,ここに来る。もし女神への約束を守らないと,何か悪いことが起こるに違いないと恐れている。われわれとしては,動物供儀を人々に勧めているわけではないが,さりとてそれを拒否することが出来るわけでもない。」(*18)
(4)ラム・A・ダス(供儀係?)
水牛30頭をククリで供儀した。「動物の首を切り落とすのは,いつも楽しみ(fun)だ。この伝統が悪なら,どうしてこんなに多くの人がここに来るのか?」(*18)
(5)ビシュワナート・カラワル(インドからの参拝者)
「私は,ガディマイ女神をとても尊敬している。だから喜んで,お供えをする。これは私たちが決めたことだ。」(*12)
(6)モハン・マイヤ・ジャー(パタンのヒンドゥー寺院司祭)
「人間供儀が,かつては最高の供儀だった――真の解脱(モクシャ)のためとなれば,躊躇させるものは何もなかった。しかし,人間の生命は,宗教的象徴主義をもってしてもあまりにも重く大切なものなので,人間供儀は動物供儀に置き換えられた。社会が発展し,時代が変わっていくと,動物供儀もまた,無くなるだろう。
[・・・・]
[しかし]宗教の伝統へは,介入すべきではない。抗議活動や裁判で,慣習が創られたり廃止されたりすることはない。」(*29)

5.地方機関の対応
(1)パニンドラ・マニ(バラ郡事務局長)
動物供儀を禁止すると,社会不安を招くし,またチャマール(ダリット)の人々への経済的打撃となる。禁止は難しい。(*24)
(2)ビカシュ・カナル(バラ郡警察署長)
「信者たちに動物供儀をやめるよう働きかけることはできるが,強制的にやめさせることはできない。」(*22)

■ダクシンカーリ―での動物供儀(Eyes on Nepal

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/01/03 @ 10:04