ネパール評論

ネパール研究会

コロナ禍のネパール

ネパールでの新型コロナ(コビド19)感染は,いまのところ日本よりもはるかに少ない。

[月日/感染者累計/死者累計]
1月24日/01/00
3月23日/02/00
4月06日/09/00
4月14日/16/00
4月17日/28/00
4月21日/31/00
4月24日/49/00
■Covid-19 Update, Kathmandu Post, Apr 25

それでもネパール政府は強く警戒し,2人目の感染が確認された3月23日にはいち早くロックダウン(全土封鎖)に踏み切った。官庁,商店等は閉じられ,人々の外出は治療や生活必需品購入など,必要な場合のみに制限された。空陸の交通機関も原則休止。このロックダウンは2度更新され,現在も継続されている(当面4月27日までの予定)。

この厳しいロックダウンが始まると,村外へ出稼ぎに出ていた多くの人々が職を失い窮地に陥ることになった。村に帰ろうとしても,国内交通は遮断されている。あるいは同様にロックダウンのインドから帰国しようとしても,国境で止められてしまう。

外国人旅行者も各地で足止めされた。たとえカトマンズまで戻れても,定期便は運休なので,各国政府等が用意した帰国特別便に乗るしかない。それでも乗れれば幸い,カトマンズには帰国を待つ旅行者がまだかなり残っているという。

ネパールが感染者2人の段階で,いち早くロックダウンに踏み切ったのは,なぜか?

SB・プン博士(Dr Sher Bahadur Pun, テク病院[Shukraraj Tropical and Infectious Diseases Hospital]医師,専門:ウィルス学・流行疫学)
「たとえ感染が一人だけであっても,そして症状があろうがなかろうが,村中にパンデミック[感染爆発]を引き起こす危険性は大だ。村には十分な診療施設がないし,村人たちはたとえ少しの熱が出ただけでも医者にかかる必要があるなどということは知ってはいない。・・・・もしコロナウイルスを国境で阻止せず国内に入れてしまえば,われわれは時限爆弾を抱え込むことになってしまうだろう。」(*7)
「政府は対策を考えてはいるが,実際には,どの国の政府の対策もいまのところこのウイルスにたいして完璧ではない。われわれとしては,このウイルスを見逃すことなく補足し封じ込めるべきであり,そうすることによってのみ最悪の事態への備えができるのである。」(*8)
■Hamro Doctor News, Jan 25(Apr 25)

ブラビン・カルキ(ジャーナリスト,Mero Tribune社主)
「ネパール医療の現状は,西洋に比べ非常に貧弱だ。もし感染が急拡大すれば,この国の医療体制では対応できなくなるだろう。ネパールは,この破壊的なウイルスを封じ込めるための対策を強化している。もし移動禁止がもう少し早く発令されていたら,ウィルス拡散防止にはより有効であっただろうという見方もある。政府は,手遅れとなる前に,このヒマラヤの国で起こりうる感染爆発を阻止するため,さらに対策を強化していくべきである。」(*10)
■B. Karki(FB, Mar 10)

このように,ネパールでは感染症専門家や有識者の間では,コロナ・パンデミックへの警戒心が極めて強いが,それでも全土封鎖ロックダウンともなると,とりわけ経済的には大きな犠牲を伴う強硬措置であり,抵抗や反対も少なくはなかった。

ネパール観光年(VNY2020 [Visit Nepal Year 2020])
たとえば,外国人観光客を呼び込むための「ネパール観光年(VNY2020)」の大キャンペーン。東京オリンピックが日本のコロナ対策の遅れを招いたと批判されているように,ネパールでもVNY2020がコロナ対策の初動を遅らせたと批判されている。

ネパールではすでに1月24日,国内初のコロナ感染が確認されていた。ところが,それにもかかわらずネパール観光局(NTB)は2月26日,ネパールにはコロナ感染はないので,旅行キャンセルの必要はないと発表した。これを批判されると,ようやく3月1日になって観光局は3月の外国人向けVNYキャンペーンの休止を発表した。

ネパール政府がVNY2020そのものの中止を決定したのは,全土ロックダウン決定(発表3月23日)とほぼ同じころ,おそらく両者セットだったのであろう。VNY2020事務局の解散も,ロックダウンの4月27日までの延長(4月14日発表)とセットであった。

観光はネパールの基幹産業であり,VNY2020は官民挙げての大事業。それへの大きな期待が,このようにコロナ対策の始動を一時躊躇させたことは確かなようだが,危機が切迫するとネパールは一転,徹底した全土ロックダウンに踏み切り,VNY2020もきっぱり断念してしまった。中途半端な外出自粛要請の「非常事態宣言」にとどまり,オリンピック中止も決断できない日本とは対照的である。
■VNY2020ロゴ/Visit Nepal FB(ロゴ変更後)

SB・プン博士の査問
といっても,むろんコロナ対策のような重大な政策については,どの国でも利害が錯綜し,様々な人々が様々な分野やレベルで反目や主導権争いをする。アメリカのトランプ大統領とクオモNY知事,日本の安倍首相と小池東京都知事,等々。ネパールでは,もっとも大きく報じられたのは保健省とSB・プン博士の対立。

プン博士は,前述のようにウィルス学・熱帯医学が専門で,勤務先は熱帯感染症の基幹病院であるテク病院(1933年開設)。そのプン博士のところに,コロナ感染が拡大し始めると,当然ながら多くのメディアが押し掛け,博士の見解を求めた。博士は,コロナ感染拡大を恐れ,積極的に取材を受け入れ,繰り返しコロナ感染につき説明し,早期対策の必要性を力説した。

ところが,これがネパール保健省やテク病院の一部幹部の怒りを買ったらしい。4月12日,保健省はプン博士に召喚状を送り,コロナ関係情報を不正に漏らした疑いで事情聴取することにした。博士の懲戒解雇もうわさされた。

この保健省によるプン博士召喚問題については,コロナ感染の世界的急拡大ということもあってか,プン博士の方を支持する声が高まり,結局,博士の責任は問われないことになった。

プン博士は4月19日,保健省を訪れ,幹部と会見したのち,プレスリリースを出し,保健省や保健大臣の名誉を傷つけるような報道はすべきではないと要請した。また,保健省訪問も通常業務の一環にすぎないと説明した。これに対し,保健省筋の方も,メディアが騒ぎ立てただけで,実際にはプン博士は保健省の協力を求めたにすぎない,と語った。
■プン博士支持表明(Prof. Khadga KC, FB, Apr 18)

難しい選択
こうしてVNY2020問題もプン博士問題も大事になる前に落着したが,コロナ感染はネパールでも急拡大し始めた。4月24日現在,感染者累計49人。

ネパールでは,平均年齢が先進諸国よりもはるかに若いので,コロナに感染しても相対的には重症化率は低いであろうが,プン博士らが警告しているように住民の医学知識不足や地域医療体制不備を考えると,厳しいロックダウンの継続はやむをえないであろう。むろん,全土ロックダウンは,ダメージの方が耐えがたいほど大きく,可能な部分から緩和していくべきだという意見も根強いのだが。――難しい選択である。
■中西部大学のコロナ対策(同大FB, Apr 18

*1 Dr Sher Bahadur Pun, “Novel coronavirus scare: Boost surveillance at TIA,” Himalayan Times, January 27, 2020
*2 Arpana Adhikari, “ Suspect flu? Visit the doctor,” Rising Nepal, Jan. 29, 2020
*3 Kashish Das Shrestha, “Let’s call off Visit Nepal Year 2020; The Covid-19 outbreak provides a safe exit for Nepal to end this poorly-prepared campaign,” Nepali Times, February 28, 2020
*4 Kunga Hyolmo, “Govt suspends Visit Nepal Year 2020 promotion campaign in foreign countries for time being owing to coronavirus outbreak,” Republica, February 29, 2020
*5 “Weakly enforced quarantine protocols spell trouble,” The Record, March 27, 2020
*6 Manjima Dhakal, “Fewer Patients Visit Fever Clinics For Corona Testing,” Rising Nepal, 28 Mar 2020
*7 Mukesh Pokhrel and Sonia Awale, “Returnees may be taking coronavirus to rural Nepal; With inadequate medical facilities and influx of people, western Nepal could be the next hotspot,” nepali Times, March 31, 2020
*8 Arun Budhathoki, “Nepal May Escape the Coronavirus but Not the Crash; The remote mountain country has only five confirmed coronavirus cases,” Foreign Policy, March 31, 2020,
*9 “COVID-19 Threat: Nepal Government Cancels ‘Visit Nepal 2020’; The government has also decided to dissolve VNY Secretariat from April 13, 2020,” Nepali Sansar, 1 Apr 2020
*10 Brabim Karki, “Nepal Extends Ongoing Lockdown to Combat COVID–19, Nepal’s poor stand to be hard hit by the freeze on economic activity,” The Diplomat, April 07, 2020
*11 Anil Giri, “Coronavirus lockdown to continue until April 27, border closed until situation improves in India,” Kathmandu Post, April 14
*12 “Dr Sher Bahadur Pun leaked vital information: Health Ministry,” Republica, April 18, 2020
*13 “When Dr Pun became the face in media, others at Teku Hospital were not happy,” Republica, April 18, 2020
*14 Arjun Poudel, “A day after Covid-19 cases double, Health Ministry goes after frontline doctor for critical comments, The ministry has summoned Dr Sher Bahadur Pun, a virologist at the Sukraraj Hospital, for a clarification over his public statements on the Covid-19 pandemic,” Kathmandu Post, April 18, 2020
*15 Vivek Rai, “Health Ministry seeks explanation from infectious disease expert at Teku Dr Pun, Some have not liked that I am seen at the forefront: Dr Pun,” Kathmandu Post, April 18, 2020
*16 “Ministry urges everyone against misleading publicity on Dr Pun,” Merolagani, Apr 19, 2020
*17 “People urged not to indulge in smear campaign,” Himalayan Times, April 20, 2020

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2020/04/25 @ 17:16

カテゴリー: 社会, 健康

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