ネパール評論

ネパール研究会

紹介:安倍泰夫『ネパールで木を植える』(2)

1 運命的な「声」の導き:雪崩からの生還・少女との出会い・植林事業へ
著者を植林事業へと導いたのは,運命的な「声」であった。

1974年10月,著者はラムジュン・ヒマール登山隊に医師として参加,6984mの山頂への登頂にも成功した。が,下山途中,雪崩に巻き込まれ,意識を失った。やがて意識は戻ったものの,高山病と降雪ホワイトアウトで先に進めず,極寒の雪原に横たわったまま身動きできなくなってしまった。

遭難死寸前。と,そのとき,「イェタ(こっち)」という声が聞こえ,起き上がると,前方にトンネルがあり,出口の先には登山隊テントが見えた。そのトンネルを通り,著者はテントにたどり着いた。そして,振り返ると雪が降りしきるだけ,そこにはトンネルはなかった。

幻聴,幻視だったのか? が,たとえそうだったにせよ,まさにそれらにより著者は救われ奇跡的に生還できたのだ。

首都カトマンズに戻った著者は,帰国せず,現地小児科病院のボランティア医師として働き始めた。そして1974年暮れ,休暇中に出かけたランタン・ヒマラヤ偵察からの帰途,トリスリ河畔でテント場を探しているとき,チェットリの少女を見かけ尋ねると,「イェタ(こっち)」と言って案内してくれた。

著者は,「ハッとした」。「雪原でのあの声」とそっくりだ。

この少女,14歳のドゥルガを,著者は養女とした。そして,それをきっかけとして,親族,知人,地域住民へと人間関係が広がっていった。

一方,著者は小児病院勤務を通して,子供の死の多くが汚染された川水に起因することを知り,清潔な飲料水を確保することの必要性を確信するに至った。そのためには,乱伐で砂漠化した山地に木を植え,湧水を回復しなければならない。

こうして著者は,運命的な「声」に導かれて生還し,少女ドゥルガと出会い,そして今日にまでも継続されることになる植林の大事業の開始へと向かうことになったのである。

200206b ■おび(表側)

2 運命的な出来事と人生
『ネパールで木を植える』を読んでいると,合理的には説明しきれない運命的な出来事がその後の人生に大きな影響を及ぼすこともあることが,よくわかる。人生はドラマチックでもありうる。

私も早や「後期高齢者」。75年の人生を振り返ってみると,著者ほどではないが,それでも「運命的」と思えるような出来事がいくつかあった。たとえば,穂高での遭難危機もその一つ。

数十年前の秋,上高地に行った。河童橋~明神池付近の散策が目的だったが,雲一つない晴天。そこで,つい魔が差して,軽装にもかかわらず穂高に登ることにした。ルートは岳沢小屋⇒奥穂高岳⇒穂高岳山荘。絶景にルンルン気分だったが,秋の空は急変,奥穂頂上まであとわずかのところで猛吹雪,身動きできなくなってしまった。極寒の中,じっとうずくまり,もうだめかと観念しかけたとき,突如,目の前に人が現れた。屈強な山男で,吹雪・積雪だがルートは熟知とのこと。お願いして,あとをたどらせていただき,無事,奥穂山頂にたどり着いた。山荘までは稜線沿いに少し下るだけ。文字通り危機一髪,九死に一生を得た。助けてくれた山男は,何事もなかったかのごとく,山頂から一人,歩き去った。

この穂高での山男との出会いは,植林事業に結実した著者ほどではないが,それでも私の人生において折に触れ思い起こされる運命的な出来事の一つとなった。

『ネパールで木を植える』は,それを読む人に,誰にでも多かれ少なかれ運命的な出会いや出来事があること,そして,それを忘れることなく自らに引き受け,それぞれの仕方で人生を誠実に生きる努力をすること,そのことの大切さを改めて思い起こさせてくれるのである。

200206c ■おび(裏側)

谷川昌幸(c)

Written by Tanigawa

2022/02/07 @ 14:01

カテゴリー: ネパール, 自然, 健康, 国際協力,

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