ネパール評論

ネパール研究会

暗殺政治

ネパリタイムズの社説が、このところ冴えている。第609号(6月15-21日)は、「暗殺の目的」。

1.暗殺の目的
社説によれば、このところ有力者や著名人の暗殺が続いているが、ネパール・メディアはそれらを個別の事件として取り扱い、関連性や政治的意味を探ろうとはしない。しかし、これは誤りである。それらの襲撃は、標的を定め、計画的に殺害した政治的暗殺であるという。

(1)ランジュ・ジャー暗殺:4月30日
ジャナクプールのラマナンダチョークで4月30日午前、「ミティラ州闘争委員会」が自治州要求の座り込みデモをしていた。そのとき、バイク積載の強力爆薬が爆発、5人が死亡し、30人以上負傷した。

5人の死者のうちの一人が、ランジュ・ジャーさん(32歳)。才能豊かな人気女優であり、人権活動家でもあった。特にマデシ女性の権利獲得のために、熱心に活動していた。即死であった。

爆発後、バイク所有者が捕まり、警察に引き渡されたものの、事件の全容は不明のままだ。政府は、ランジュさんを「殉死者」とし、遺族に100万ルピーを給付した。

ネパリタイムズ社説は、この爆破事件を「政治的暗殺」とみる。アイデンティティ連邦制であれば、マイティリがタライにミティラ自治州を要求するのは当然。また、もしそうであれば、ボジュプリやアワディも、同様の要求をするだろう。

爆破テロは、この動きに反対するいずれかの勢力の仕業である。そして、事実、事件後、マイティリや他の同種の自治州要求運動は下火になったという。

(2)バム最高裁判事暗殺:5月31日
この事件については以前このブログで取り上げたので、概要はその記事をご参照いただきたい。

ネパリタイムズ社説は、バム判事銃殺を、明確な目的の下に実行された政治的暗殺だと解釈する。たしかに、バム判事は汚職容疑で弾劾裁判中であったが、しかしそれはカムフラージュ。暗殺の目的は別のところにあるという。

つまり、最高裁は「法の支配」「適正手続き」を遵守させることが任務だが、極左・極右にとっては、それが目障りであった。そこでバム判事が標的とされ、判事を暗殺することによって、裁判所、警察、人権活動家などに警告を発した。バム判事暗殺は、司法制度の弱体化が目的であったというのだ。

2.暗殺の政治的効果
以上のネパリタイムズ社説の解釈は、私のそれとほぼ同じだ。バム判事暗殺については、制憲議会解散後の最高裁の積極的介入への警告の意味がより強いと私は思うが、しかし全体としては社説の解釈は妥当である。

政治テロや暗殺は、政治活動を萎縮させる。たとえば、長崎。キリシタン弾圧、原爆被爆の地、長崎は、テロの街でもある。

(1)本島市長銃撃事件
1998年12月、本島市長が市議会で「天皇にも戦争責任はある」と発言、これに怒った右翼幹部が1990年1月、市長を銃撃し重傷を負わせた。

この右翼テロが後の天皇制反対運動に与えた影響は深甚であり、現在もなお、重苦しい重圧となって残っている。

(2)伊藤市長銃殺事件
2007年4月17日には、伊藤市長が長崎駅前で暴力団幹部に銃撃され、死亡した。私は、この銃撃事件の直後、おそらく数分後に、市電で現場前を通過した。車内に火薬らしい臭いが漂ってきたが、電車は停止することなく通過したため、帰宅してから報道でそれが市長銃撃であったことを知った。

この事件は、捜査の結果、政治的動機はないとされたが、どこか納得しきれないものが残る。しかし、明確でないにせよ、市長暗殺は、たとえば入札とか他の市行政に、どことなく重苦しい重圧となって残っていることは確かだ。

このように、政治テロや暗殺は、実行者がたとえ一人であっても、大きな政治的目的を実現しうる、極めて効果的な魅力的な手段である。

しかし、いかに魅力的であれ、あるいはいかに正義感に駆られてにせよ、いったんこれに手を染めれば、民主主義はたちまち危機に瀕する。

ネパリタイムス社説は、「事件を解明し、責任を追及すべきだ」と主張しているが、まさしくこれは正論、党派を超えて取り組まれるべき重要課題である。

(参照)
■2012/05/01 民族州要求に爆破テロ
■2012/06/01 選挙実施理由提示命令と判事暗殺
■2007/04/18 長崎市長銃撃:「非政治的」の政治的作為性?
■2007/04/17 長崎市長銃撃とネパール選挙

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2012/06/20 @ 18:38

カテゴリー: 政治, 民主主義

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