儀式かやらせの憲法公聴会
制憲議会が,とうとつに20,21日を憲法公聴会と憲法意見募集のための休日とした。いつものことであり,勤め人は,あきれつつも,休みを楽しんでいた。
公聴会は,全国240選挙区で実施された。また,21日午後5時までに国民から提出された意見の総数は,26,496であった(Republica,22 Jul)。
(1)制憲議会HP経由 17,395.
(2)Eメール 5,560.
(3)特別無料電話 2,415.
(4)ファックス 923.
(5)郵便または直接持参 153.
しかしながら,このような公聴会や意見募集にどのような意味があるのだろうか? そもそも公聴会に出席し意見を述べるのは特定の人だし,ネットや電話などだと,本人特定は困難だ。さらに,出された意見の扱いも極めて不透明。こんな方法では,よくて儀式,悪くするとやらせとなってしまう。
国民の意見は,すでに制憲議会選挙により,はるかに公平,透明,民主的な方法で表明されている。国民は議員を「国民代表」として選出し,憲法制定を「信託」したのだ。議員は,その「信託」にこたえる義務がある。義務が果たせないのなら,辞職し,再選挙すべきだ。
言うまでもないことだが,国民には自分で直接統治する能力はないが,統治を「信託」する「国民代表」を選択する能力はある。これは古い代議制民主主義の考え方だ。が,古いからダメというわけではない。古くても良いものは良い。
ネパールは,欧米から無責任に持ち込まれる「最新の理論」に惑わされることなく,自分たちに最も適した現実的な方法を採用し,統治の安定向上を図るべきである。
谷川昌幸(C)
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