ネパール評論

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中印覇権競争とプラチャンダ外交(2)

2.中印の覇権競争
ネパールを挟んで対峙する中国とインドが,すでに世界の大国であることはいうまでもない。21世紀は,超大国中印の時代となるであろう。

先に高度経済成長を始めた中国は,いま尖閣,南沙諸島など,あちこちで大国主義的ナショナリズム攻勢に出ているが,これは中印国境においても例外ではない。その一つが,カシミール東部。

日本メディアの報道では,4月15日,中国兵約50人が、突然,カシミール東部の中印実効支配境界線から侵入,約10kmインド側に入ったところにテントを張り,標識を設置した。これに対し,インド側もそこから300mのところに兵を進め,野営地を設置し,にらみ合っている。

しかし,この日本報道は,少し不自然であり,事実に反するようだ。いかな中国といえども,何の口実もなしに兵を進めたりはしない。尖閣の場合も,島購入などを仕掛けたのは石原東京都知事であり,結局,民主党政府が尖閣を国有化した。中国側の警告を無視し,先に大きく現状変更をしたのは日本であり,中国側はそれを絶好の口実に対抗措置――いささか過剰だが――をとっていると見るべきであろう。カシミールでも,先にインド側が不用意に国境付近で兵力増強やインフラ整備などに着手,これに中国側が対抗措置を執ったということのようだ(People’s Review, May1)。

ただし,中国側の大国主義的攻勢は事実としても,国境紛争などの場合,たいていどちらにもそれなりの言い分があり,明快な白黒判定は難しい。できるだけ口実を与えず,それでも紛争となった場合には,相手の意図を慎重に探り妥協により実利をとるのが,現実的である。カシミールにおける中印も,痛み分けで,結局,5月5日夜,両国の実効支配線内に兵を撤収した。

いずれにせよ,中印はいたるところで覇権競争を激化させており,その主戦場の一つとなりつつあるのが,両国に挟まれたネパールなのである。

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 ■南アジアの国境紛争(The Economist, Feb8,2012)

3.中国のネパール進出
ネパールは,伝統的にインド勢力圏内にあり,中国もこれまでは基本的にそれを認めてきた。

ところが,この数年,中国の対ネ政策は積極的な影響力の行使へと,大きく変化してきた。政治家など有力者や要人を次々と中国に招待し,学生多数を留学させる一方,ネパール国内でも孔子学院を展開し,中国フェアなども大々的に開催している。いたるところに中国商品があふれ,あちこちで中国企業がビルやインフラ建設を進めている。すでに中国語は,英語の次に学びたい人気言語になっており,日本語などもはや相手にもされない。

この中国のネパール進出に,インドは神経をとがらせている。産経(5月1日)によれば,ネパール各地の放送局が反インドやチベット亡命者批判の番組を放送し始めたため,インド政府は高出力放送局を設置し対抗せざるをえない事態になっているという。

中印どちらにも言い分はあろうが,全体的に見ると,ネパールにおける中印関係の現状を変えつつあるのは,やはり昇竜,中国である。

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 ■「反印キャンペーン」(India Today, Nov27,2012)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/05/08 at 10:50

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(9)

8.対テロ戦争の悲惨と愚劣
(1)対テロ戦争のためのアフザル処刑
アフザル裁判が,彼の出身地カシミールの紛争と密接に関係していることは,いうまでもない。ロイによれば,カシミールは20年以上にわたってインド本国に軍事的に占領され,何万ものカシミール人が拘置所,刑務所,仕組まれた(みせかけの)遭遇戦などで殺されてきた。アフザル処刑は,そのカシミール紛争を新たな次元に引き込むものだという。

「アフザル・グル処刑は,これまで民主主義を一度も実体験したことのない若者たちに,リングサイド特等席でインド民主主義の威厳と壮麗な働きを観る機会を与えてくれた。カシミールの若者たちは,法輪が回るのを観た(*1)。彼らは,インド民主主義の厳かな白い諸制度のすべてを観た(*2)。政府,警察,裁判所,政党と,そしてそう,あのメディアが共謀して,一人の男を縛り首にした。公正と彼らの信じない裁判により,一人のカシミール人が処刑されたのだ。」(Roy:ⅱ)

 *1 法輪:国旗中央のアショーカ・チャクラ。空と海。
 *2 白い諸制度:国旗上部のサフラン色はヒンドゥー教,下部の緑色はイスラム教,そして中間の白色は2宗教の和解を象徴するとされている。「白い」諸制度とは,「和解と真実と平和」の諸制度ということ。

  130313a ■インド国旗

(2)カシミールとアフザルとインド民主主義
カシミールは,ロイによれば,ミリタント,治安部隊,印パ越境者,スパイ,密告者,印パ情報機関,人権活動家,NGO,地下資金,密売武器,等々の巣窟である。「これらの物事や人々を区別する明確な線は必ずしも無い。誰が誰のために働いているのか知ることは,容易ではない。」(Roy:ⅳ)ロイは,次のように述べている。

「カシミールでは,真実は,他の何よりも危険といってもよい。深く掘れば掘るほど,悪くなる。穴の底には,アフザルの語るSOG(Special Operation Group 特殊作戦部隊)やSTF(State Task Force 州警察特任部隊)がいる。これらは,カシミールのインド治安機関の中でも最も冷酷で,無規律で,恐ろしい組織である。より正規の他の部隊とは異なり,これらは,警官,投降ミリタント,裏切り者,そして他のあらゆる犯罪者たちがうごめくグレーゾーンで行動する。それらは,カシミールの人々,特に地方の人々を食い物にし,苦しめる。その最大の犠牲者が,1990年代初めの無統制な蜂起の際,立ち上がって抵抗したのち投降し,普通の生活に戻ろうとしている何千というカシミール青年たちである。」(Roy:ⅳ)

アフザルも,1989年,20歳の時,パキスタンに越境したが,本格的な訓練は受けることなく舞い戻り,デリー大学に入学した。ジーラーニ講師とも,そこで知り合いになったらしい。1993年,ミリタントとしての活動経歴はなかったが,自ら国境治安部隊(BSF)に投降した。

「あまりにも皮肉なことに,アフザルの悪夢は,ここに始まる。投降した彼は罪にとわれ,人生は地獄と化した。もしカシミールの青年たちが,アフザルの境遇を見てそこから教訓を引き出したとしても,誰も非難はできまい――武器を捨てて投降し,インド国家が差し出す,ありとあらゆる残虐行為に身をゆだねるのは,狂気の沙汰だ,という教訓である。

ムハンマド・アフザルの境遇はカシミール人の境遇でもあり,カシミール人を怒らせた。アフザルの身に起こったことは,何千ものカシミールの若者たちとその家族にも起こりえたことであり,起こりつつあることであり,そして事実起こってきたことなのだ。

違いがあるとすれば,彼らの場合,共同尋問センター,軍キャンプそして警察署の内部の薄汚い場所で,それが起こることだけだった――そこで,彼らは火を押しつけられ,殴られ,電気を流され,恐喝され,そして殺される。死体はトラックから放り捨てられ,通行人に発見させる。

アフザルの場合,中世の舞台の一場面であるかのように,それは行われている。国家を舞台に,白昼堂々と,『公正な裁判』による法的承認の下に,『自由な報道』のうつろな利益のために,そして,いわゆる民主主義の威厳と儀式のために,それは行われているのだ。

もしアフザルが縛り首にされたら,問われるべき真の問題への答えを,私たちは決して知ることができなくなってしまうだろう。インド議会を襲撃したのは,誰か? ラシュカレ・トイバだったのか? ジェイシェ・モハンマドだったのか? あるいは,われわれすべてがその中で生き,美しくも複雑であり,また痛みを伴うわれわれ自身の仕方で愛し憎んでいるこの国の奥底の,秘密の,とある場所に,その答えはあるのだろうか? ・・・・

実際には何が起こったのかを知ることなく,モハンマド・アフザルを縛り首にするのは,誤りである。すぐ忘れられるようなことではない。許されるべきことでもない。決して,忘れられるべきでも許されるべきでもないこと,である。」(Roy:ⅳ)

 130313b ■カシミール解放戦線HP(Feb.13,2012)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/13 at 15:46

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(7)

6.アフザルの自白強制
(1)逮捕時の状況
アフザルは,警察発表では,ジーラーニ自供に基づき,12月15日,スリラナガルにおいて,シャウカトの妻所有のトラックでシャウカトと共に逃亡しようとしているところを,スリナガル警察に逮捕され,このときジェイシェ・モハメドの中心人物Ghazi Babaに渡す予定のパソコン,およびノキア携帯,100万ルピーなどを押収された。このパソコンには議会襲撃用の情報が記録されており,携帯SIMには襲撃実行犯らとの通信記録が残っていたとされる。

しかし,アフザルによれば,逮捕はバス停においてであり,そこでは何も押収されなかった。また,あとで押収されたパソコンやSIMは,押収後も封印されないままであり,不自然なアクセスの痕跡がいくつも残っていた。警察発表は,逮捕時の状況からして,不自然といわざるをえない。

(2)自白強制
それ以上に問題なのが,自白。逮捕されたアフザルは,デリー警察に移送され,激しい拷問と親族を人質にした様々な脅迫により,襲撃事件の細部にまで及ぶ詳細な自白をさせられた。12月20日には,マスコミの前で「自白」を強制され,翌21日には正式の自白調書に署名させられた。アフザルは,S.クマール弁護士宛書簡で,こう述べている。

「スリナガルのバス停で逮捕され,特任部隊(STF)本部に連行され,そこから特別警察とSTFが私をデリーに移送した。スリナガルのパロムポラ警察署で,私の持ち物はすべて没収され,それから彼らに殴られ,そして,もし真実を誰かに話すと妻も家族もひどい目に遭わせると脅迫された。私の弟のヒララ・アフマド・グルさえも令状なしで警察に連行され,2~3ヶ月も勾留された。これは,ACPのラジビール・シンから聞いて初めて知ったことだ。特捜警察は,もし警察のいうとおり話せば,家族を痛めつけたりしないと私にいい,また,私の容疑を軽くし,しばらくすれば釈放してやる,という偽りの約束もした。私にとって,最も大切なのは,家族の安全だった。私には,STFが人びとを,すなわちカシミールの人びとを,どのようにして殺すか,また,彼らが拘置所で殺したあと,どのようにして消してしまうかが,この7年間の経験からよく分かっている。」(“Letter to His Lawyer”)

「[12月20日の]夕方,ラジビール・シンが,家族と話がしたいか,と私に話しかけた。はい,と私は答えた。そして,私は妻と電話で話した。電話が終わると,シンは,妻と家族に生きていてほしいなら,あらゆるところで彼らに協力せよ,と私にいった。彼らは,私をデリーの様々な場所に連れて行った。それらは,ムハンマドが様々なものを入手したところだった。彼らは,私をカシミールに連れて行ったが,そこでは何もせず戻ってきた。そして,彼らは私に200~300枚の白紙に署名させた。」(Ibid)

(3)憲法における自白強制の禁止
このような自白強制については,ベテラン記者のD.S.ジャーも,次のように批判している。

「警察は,自分を自分の法としてしまった….。警察は,まず逮捕し,そのあとで自白を絞り出せばよいと信じている。….これが,われらがかつて誇りにした民主主義のいまの素顔である。」(N. Mukherji,”The Media and December 13,” Outlook, Sep.30, 2004)

自白強制は,むろんインド憲法でも,日本国憲法と同様,禁止されている。

インド憲法第20条(3)「犯罪の訴追を受けた者は,自己に不利益な証人となることを強制されない。」

日本国憲法第38条 「(1)何人も,自己に不利益な供述を強要されない。(2)強制,拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は,これを証拠とすることができない。(3)何人も,自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には,有罪とされ,又は刑罰を科せられない。」

しかし,強引な自白強制は,特にテロ容疑者については頻発している。この点については,Human Rights Watchなどが厳しく批判している通りである。

Human Rights Watch, The Anti-Nationals: Arbitrary Detention and Torture of Terrorism Suspects in India, Feb.2, 2011

(4)弁護される権利の否定
それでも,もしアフザルにまともな弁護士がついておれば,あまりにもムチャな自白は法廷で最初から証拠として採用されなかったであろう。

ところが,驚くべきことに,アフザルは,事実上,弁護士による弁護を受けなかった。裁判所は,アフザルの希望を認めず,自ら若い弁護士を選任し,アフザルにつけた。ところが,この弁護士は,拘置所のアフザルと一度も面会せず,アフザルのための証人を一人も呼ばず,検察側の証人に対しては一度も反対尋問を行わなかった。

「ティハール刑務所の厳戒区域に収容されていたため,一週間は,弁護士など外部の人々と連絡することは困難であった。そのようなとき,インディアン・エクスプレス紙をみると,私の弁護士が私のために高裁に次のような申し立てをしたというニュースが出ていた。私(アフザル)は,死刑を受け入れるが,ただ一つ,死の苦痛を軽減するため縛り首による死刑ではなく,強力な致死性薬物の注射による死刑への変更を要望したい,と。このような偽りの申し立ては,私は断じて認めない。それは,私に知らせることも同意を得ることもなく,実際には,私の弁護士が自分で勝手に申し立てたことであり,私の上訴そのものを嘲笑し無駄骨とするものに他ならない。」(“Letter to All India Defence Committee”)

(5)最高裁判決文の曖昧さ
以上は,アフザル被告自身の申し立てであり,そのまま受け取ることは,むろんできない。自白に関する最高裁の判断について,ロイは証拠採用を留保したと解釈しているが,P.V. ReddiとP.P.Naolekarは,「最高裁は『[被告側の]そのような主張に真実はない』と断定した」と解釈している。最高裁の判決文は,こうなっている。

「この[弁護されなかった]という申し立ては,真実ではない。事実審(第一審)弁護士は,アフザン被告のため効果的な法的支援をするため最善の努力をした。….弁護人非難は,控訴段階で持ち出されたあと知恵と考えられる」(18(A1) Case of MOHD. Afzal)

「警察は,熱意のあまりメディア会見を開き,弁護人から,その公開方法について厳しい指摘を受けた。….[しかしながら]この警察の誤った方法は,検察側にも被告側にも,有利にも不利にもならない,と考えられる。」(Ibid)

「アフザルが自白を否定する諸根拠は,首尾一貫していない,と判断される。アフザルは2002年7月2日付申立書において,….上述のように述べたといいながら,他方では,白紙に署名したと述べている。このいわゆる矛盾が,自白の真実性と任意性にかかわるとは,われわれは考えない。われわれは,弁護側申し立ての中の矛盾を根拠として事件を組み立てるよりも,むしろそのような主張を否定する一方,被告が語ったことの内容そのものを見ていかなければならない。」(Ibid)

この最高裁判決文は,持って回った表現であり,わかりにくい。ロイがいうように,いくつか重要な留保をしているが,自白そのものの証拠能力は,事実上,認めているように考えられる。

しかしながら,テロ容疑で逮捕されたカシミール人の処遇については,アフザルやロイの主張の方が,最高裁の形式的な判決文よりも,はるかに説得力があるように感じられる。アフザルの自白調書は,おそらく厳重に警戒隔離された拘置所内で,弁護士の支援も得られないまま,拷問と家族を人質とした脅迫の下で作成されたのだろう。細部まで異様なまでに詳しく記述された自白調書,そのようなものが信用できるはずがない。

【参考】
日本国憲法第37条【刑事被告人の権利】1 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

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  ■カシミールの刑務所(同HPより)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/10 at 20:41

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(6)

6.ジーラーニ逮捕・起訴の不当性
国会襲撃事件の容疑者として逮捕された4人のうち,最も不可解なのが,デリー大学アラビア学講師ジーラーニの逮捕。15日の逮捕直後からマスコミは,「デリー大学講師はテロ計画の中心だった」,「大学教師がフェダイーン(革命戦士)の手引き」,「大学教師がテロの課外授業」などとセンセーショナルに報道した。当初,デリー警察がジーラーニ自供からアフザルを割り出したと説明していたように,ジーラーニこそがターゲット,襲撃の「首謀者(mastermind)」と想定されていたのだろう(Roy:ⅰ&ⅳ)。

ところが,逮捕されたジーラーニは,デリー警察で激しい拷問を受け,妻・子・兄弟までも拘束され,彼らを人質に脅迫さえされたが,自供はしなかった。ジーラーニは,知識人(大学講師)であり,有能な弁護士がつき,また同僚や多くの支援者がいた。それでがんばり通せたのだろう。

一方,警察には,ジーラーニを逮捕したものの,十分な根拠がなかったことは,アフザルの弁護士宛書簡を見ると,よく分かる。12月20日の強制的マスコミ会見でのやりとりについて,アフザルはこう述べている。

「そこにはNDTV, Aaj Tak, Zee News, Sahara TVなどがきていた。ラジビール・シン(A.C.P.)もきていた。記者の一人,Shams Tahirが,議会襲撃におけるジーラーニの役割について質問した。私は,ジーラーニは無実だ,と答えた。その瞬間,A.C.P.のラジビール・シンが椅子から立ち上がり,誰(メディア)の前でもジーラーニについてはしゃべるなといったはずだ,と私を怒鳴りつけた。・・・・それから,ラジビール・シン(A.C.P.)は,ジーラーニに関する質問部分は消去するか公開しないようにせよ,とTV関係者に要請した。」(“Letter to His Lawyerr”)

このように,ジーラーニを見込み逮捕したものの,デリー警察には十分な確信がなかったことは明白だ。それにもかかわらずジーラーニ起訴を強行したのは,一つには,マスコミの煽った「人民の超ナショナリズム(hypernationalism)」の圧力のためだった,とロイは考える。

「そのとき,デリー警察が結果を出す圧力の下にあったことは明白だ。そして結果を,警察は出した。人民の超ナショナリズム(hypernationalism)の波に乗って,警察は適法手続きも合法性も,そしてもちろん基本的な整合性も,すべて無視した。被告,特にジーラーニに関する証拠は穴だらけであり,捏造されたものさえあった。この不正な証拠により,ジーラーニは逮捕され,激しい拷問を受けた。1年間投獄され,悪夢のような死刑の重圧の下に置かれた。デリー高裁の無罪判決により,ようやく彼は釈放された。」(Roy:ⅴ)

デリー警察は,結局,ジーラーニを「首謀者」にでっち上げることには失敗したが,しかしロイによれば,警察はそれも織り込み済み,別のもっと深い策謀があったという。

「警察は,刑事裁判では判事はメディア報道そのものは考慮しないであろうことを十二分に知っていた。警察は,冷血にも捏造した『テロリストたち』のプロフィールが世論をつくり上げ,裁判にとって好都合な環境をつくり出すこと,そしてそれは法的な検証はまったく受けないであろうことをよく知っていた。」(Roy:ⅳ)

国会襲撃をフェダイーンの犯行とする構図ができあがれば,スケープゴート(犠牲の子羊)は誰でもよいということ。アフザル自身が,こう述べている。

「警察特任隊(STF)は[私を]この犯行全体のスケープゴートにした。この犯行は,STFや私の知らない他の組織が計画し実行したものだ。警察特捜部も間違いなくこの策謀に加担している。特捜部は,いつも私に沈黙を強制したからだ。」(”Letter to His Lawyer”)

これがもし本当だとすると,権力の底知れぬ冷酷さと恐ろしさに戦慄を禁じ得ない。

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  ■デリー警察HP。「テロ防止」が重点10目標のトップ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/08 at 11:42

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(5)

5.国会襲撃事件の13の謎
2001年の国会襲撃は不可解な事件であり,多くの謎が未解決のままだ。ロイは『12月13日選集』(2006年)への「序文」(Roy:ⅲ)において,13の謎を指摘している。いずれも,事件の核心に関わるものだ。

Q1. 12月13日の襲撃の何ヶ月も前から,政府と警察は議会襲撃の恐れを指摘していた。前日の12日,バジパイ首相は,近く議会が襲撃されると警告さえした。もし情報機関から情報があったのなら,翌13日に襲撃車両が易々と議会エリアに進入できたのは,なぜか?

Q2. 襲撃後数日のうちに,デリー警察特捜部が,襲撃はジェイシェ・ムハンマドとラシュカレ・タイバの周到な共同作戦であり,IC814ハイジャック(1999)犯人の「ムハンマド」が襲撃を指揮した,と発表した。ところが,これは法廷では立証されなかった。特捜部は何を根拠に,この発表をしたのか?

Q3. 襲撃の一部始終をCCTVが録画しており,そこには6人の犯人が映っていたとされるが,射殺されたのは5人だけ。残りの1人はどうなったのか? また,このビデオ映像が証拠としての法廷開示も,議会での再生も,一般への放映もされなかったのは,なぜか?

Q4. 以上のような疑問が出されているのに,議会を休会にしてしまったのは,なぜか?

Q5. 襲撃の数日後,政府はパキスタン関与の「疑う余地のない証拠」があると発表し,印パ国境に数十万の軍隊を動員,核戦争にさえなりかねない危機を招いた。拷問により引き出したアフザルの「自供」(最高裁は証拠採用留保)以外に,「疑う余地のない証拠」はあるのか?

Q6. パキスタン国境への軍隊動員は襲撃のはるか以前から始められていた,というのは本当か?

Q7. この危機対処のための軍事費は,どれくらいか? また,この作戦による死者数や土地・家屋等の被害は,どれくらいか?

Q8. 警察は,どの情報に基づきアフザルを犯人とし,逮捕したのか? ジーラーニ自供によるというが,カシミール警察によるアフザル捜査開始はその自供以前。

Q9. アフザルは投降ミリタントで,治安機関(カシミール警察STFなど)の常時監視下にあった。そのアフザンが,どうして襲撃に関与できたのか?

Q10. ラシュカレ・タイバやジェイシェ・ムハンマドのような組織が,治安機関常時監視下のアフザルのような人物を信用し,作戦実行のための重要な役割を任せるだろうか?

Q11. アフザル証言によれば,警察特任隊(STF)の下で働いていた”Tariq”という人物に紹介され,「ムハンマド」をデリーに連れて行った。警察調書にもある,この「タリク」とは,いったい何者なのか?

Q12. 2001年12月19日,警察は,襲撃犯の一人はラシュカレ・タイバのMohammed Yasin Fateh Mohammed(Abu Hamza)である,と発表した。しかし,ヤシンは2000年11月に逮捕され,カシミール警察拘置所に拘置されていた。そのヤシンが,どうして襲撃に参加できたのか? もしそれがヤシンでなければ,ヤシンはいまどこにいるのか?

Q13. 議会を襲撃した5人の「テロリスト」は,いったい誰なのか?

――ロイの指摘する「13日襲撃事件」の13の疑問を見ると,この事件がアフザル絞首刑で幕引きされてよいものではないことは明白だ。アフザルは,ケネディ暗殺事件の「オズワルド」,あるいはネパール王族殺害事件の「ディペンドラ皇太子」のような存在といってもよいであろう。闇は深い。 

130307
■混沌のデリー市街(2010/3/20,本文とは無関係)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/07 at 14:11

絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(4)

4.裁判の概要
(1)逮捕(2001年12月)
国会襲撃事件で逮捕・起訴されたのは,次の4人である。

▼アフザル(Mohammed Afzal Guru)
1969年カシミール生まれ。妻Tabasumと息子。ジャム・カシミール解放戦線(JKLF)参加。デリー大学卒(1994)。国境治安部隊投降(1994)により「投降ミリタント」となる。医療品業を営み,スリナガルとデリーを往復。2001年12月15日,スリナガルの果物市場で,いとこのシャウカトとともに逮捕。

[容疑]テロ防止法2002(POTA),爆発物取締法および刑法に定める罪。
[記者会見]2001年12月20日,デリー警察が記者会見,アフザルを引き出し自供強要。

    130303a ■アフザル(Times of India, Feb 9, 2013)

▼シャウカト(Shaukat Hussain Guru)
アフザルのいとこ。果物商。12月15日,スリナガルでアフザルとともに逮捕。

▼アフザン(Afsan Guru)
シャウカトの妻。アフザルとシャウカトが逃亡を図ったと警察の主張するトラックの所有者。アフザルとシャウカトの逮捕後,逮捕される。妊娠中。刑務所内で出産。

▼ジーラーニ(S.A.R. Geelani)
デリー大学アラビア学講師。デリーで拘束され(12月14日?),その後,逮捕(15日)。

   130303b  ■ジーラーニ(Outlook, Feb 28, 2005)

(2)起訴(2002年5月14日)
早期結審法廷(fast-track court)に被告4人を起訴。[罪状]テロ防止法2002(POTA),爆発物取締法および刑法に定める罪。

(3)テロ防止法特別法廷(第1審)判決(2002.12.18)
  ・アフザン:投獄5年
  ・ジーラーニ,シャウカト,アフザル:死刑

(4)デリー高裁判決(2003.10.29)
  ・シャウカト,アフザル:死刑
  ・ジーラーニ,アフザン:無罪

(5)最高裁判決(2005.8.4)
  ・アフザル:死刑(2013年2月13日午前8時,絞首刑執行。Tihar刑務所内埋葬)
  ・シャウカト:投獄10年(素行良好により6月短縮し,2010年12月釈放)
 
[死刑判決理由]
「アフザルの自供とは別に,状況証拠を検証する。・・・・それゆえ[かりに自供を除外しても],アフザルがこの重大な共謀犯罪の一員であったことを示すに十分なだけの状況証拠がある,と判定される。」

「本件における最も適切な刑罰が死刑であることに疑いの余地はない。第1審(事実審)裁判所と高等裁判所もそう審判した。これは,インド共和国の歴史に類例を見ない事件であり,まさしく希有な事件の中でも最も希有な事件(rarest of rare cases)である。強力な武器と爆発物を使い,インドの多くの国民代表議員や憲法設置機関や政府職員の安全を脅かし,治安部隊を攻撃し,もって主権的な民主主義制度を攻撃し覆そうとする――これは,最も危険なテロ行為に他ならない。これこそ,希有な事例の中でも最も希有な事例(rarest of rare cases)の典型的な実例である。」

「この事件は,重大な被害をもたらし,全国を震撼させた。社会の集合的良心(the collective conscience of the society)は,襲撃犯に死刑を科すことによってのみ満足させられるであろう。テロリストや共謀犯の行為はインドの統一・統合・主権に対する挑戦であり,反逆・陰謀犯と判明した者には極刑をもって償わせる以外に方法はない。上訴人は投降ミリタント(surrendered militant)であり,国家反逆行為を繰り返した。上訴人は社会の脅威(a menace to the society)であり,その生命は絶たれねばならない。したがって,死刑判決は支持される。」
  (出典) CASE OF MOHD. AFZAL (A1), Supreme Court Judgment, in Outlook.

(注)複雑な事件のため不正確な部分があるかもしれない。もしあれば,後日訂正する。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2013/03/03 at 14:50

カテゴリー: インド, 司法, 人権

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絞首刑を煽るインド民主主義:A.ロイ(3)

3.国会議事堂襲撃事件の構図
インド国会議事堂襲撃事件は,「米国同時多発テロ(2001.9.11)」後の対テロ戦争の異様な高揚の只中で発生した。この事件は日本でも報道され,朝日新聞(12月14~30日)によれば,2001年12月13日午前11時45分頃,武装集団5人(又は6人)が議事堂に車で乗りつけ,警備員らに小銃を乱射,手榴弾を投げ,一人が自爆した。銃撃は約40分間続き,その数時間後,持ち込まれた爆弾が爆発したという。襲撃犯5人は射殺された。(1人が自爆なら射殺は4人,また6人侵入なら1人は逃亡ということになるが。)

翌日の14日,シン外相は,襲撃はラシュカレ・トイバ(カシミール反政府組織)によるものだと語り,16日にはニューデリー警察が記者会見し,射殺された5人はパキスタン人であり,逮捕したデリー大学講師ら4人の取り調べの結果,ISI(パキスタン国防省統合情報局)の関与が疑われると発表した。19日には,バジパイ首相が国会において,「襲撃犯5人はいずれもパキスタン人であり,同国の過激派組織の関与は明白」とのべ,外交的手段以外の「他の選択肢もあり得る」と宣言した。

20日付朝日記事は,「インド国会議事堂を13日白昼襲撃した犯人5人は,パキスタン領カシミールを活動拠点とするイスラム過激組織『ラシュカレ・トイバ』と『ジャイシェ・モハメド』のメンバー」と断定しているが,これもインドの当局やマスコミ報道によるものだろう。

こうして印パ関係は一気に険悪化し,インドは駐パキスタン大使を召還する一方,カシミールや他の印パ国境付近に軍隊を移動させた。カシミールでは両軍が衝突し,19日以降,双方に数名の死者と多数の負傷者が出た。インドはミサイルも配備,一触即発,核戦争さえ勃発しかねない緊迫した状況になった。この危機に対し,アフガンでの対テロ作戦の障害になることを怖れたアメリカが調停に入り,またパキスタンも比較的抑制的な態度をとったこともあり,本格的な軍事衝突となることは免れた。しかし,危機一髪であったことはまちがいない。

この事件の構図は,警察・政府・マスコミによれば,単純明快である。しかし,これほどの重大事件であるにもかかわらず,いやまさに重大事件であるからこそ,その明白とみられている構図そのものの信憑性を,もう一度,最初から検証してみる必要がある。たしかに,警察・政府・マスコミ発表の構図を信じるなら,すべてがきれいに説明できる。いや,できすぎるくらいだ。ところが,具体的な事実を細かく検証していくと,合理的に説明できないことがいくつも見つかり,全体の構図そのものが怪しくなる。

こうしたことは,重大な政治的事件の場合には,決して少なくない。有名なのは,「ケネディ暗殺事件(1963年)」。公式発表ではオズワルドの犯行とされているが,これを疑う人は少なくない。マフィア説,産軍複合体説,CIA説など,いくつか有力な説があり,たとえば「JFK(2001年制作)」も,映画にはちがいないが,相当の説得力がある。あるいは,ネパールの「王族殺害事件(2001年)」も,政府発表では事件3日後に死亡したディペンドラ皇太子の犯行とされているが,あまりにも不自然であり,不可解な点が多く,この発表をそのまま信じる人は多くはない。秘密機関陰謀説,王室内あるいは軍のクーデター説など,いまも繰り返し蒸し返されている。

インド国会議事堂襲撃事件も,きわめて政治的な事件であり,警察や政府発表をそのまま信じることは,危険である。イスラム過激派集団のテロという,世論を動員しやすい構図に合わせ,アフザルら4人が逮捕され,「自白」が引き出されたのかもしれないからである。ロイが問題にするのは,まさにこの点である。それは,もしこの事件が何らかの政治的意図によるフレームアップであったとすれば,背後にいるであろう闇の権力にとっては,到底,放置できない危険な議論ということになりかねない。

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  ■インド国会議事堂(2010.3.9)

谷川昌幸(C)

ロイ「壊れた国家」出版

アルンダティ・ロイが「壊れた国家(Broken Republic)」を出版した。

ロイは50歳。自他共に認めるマオイスト・シンパであり,現代インドでもっとも危険で,もっとも面白い作家である。インド政府のカシミール弾圧を非難し,カシミール住民の自決権を擁護する。大企業の地方住民搾取に対しては,地方住民や彼らを支援するマオイストの実力闘争をやむを得ざる抵抗として弁護する。「銃を持つガンディー」と揶揄されるゆえんである。

体制派にとってロイは許しがたいインド国家の敵である。デリー警察は,ロイに反国家煽動罪(sedition)の容疑をかけ,捜査をしている。体制派民衆は,ロイの家に石を投げつけるなど,嫌がらせをしている。

5月20日の「壊れた国家」出版記念講演会(ニューデリー)でも,体制派が会場に入り込み,カシミール自決反対を叫び,パンフレットを投げつけるなど,45分にわたって講演会を妨害した。

これに対し,ロイは,「彼らにはお金を払ってやってもらったのよ」と軽くいなし,聴衆をどっと沸かせた。なぜこれが受けるかというと,インド政府が,ごろつきに金を払って御用自警団をつくらせ,搾取される地方住民や彼らを支援するマオイストを攻撃させているからである。「金を払ってやらせた」といえば,ぴんと来る。辛らつな皮肉だ。ロイは,話もうまい。

新刊の「壊れた国家」には,先に紹介した「同志と共に歩む」と,マオイスト関係の他の2編が収められているという。日本ではまだ発売されていないが,さっそく予約注文してしまった。いまや私は,ロイの追っかけなのだ。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/06/07 at 21:03

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ネルーを訴えよ,ロイの反撃

アルンダティ・ロイは,セミナー”Azadi–the Only Way”(Delhi, 21 Oct 2010)において,「カシミールがインドの本来的部分であったことは一度もない」「カシミールはインドからのazaadi(自由)が必要だ」と語ったため,反インド扇動罪(sedition)容疑で訴えられている。この発言は人々の間の敵意を煽っているというのだ。

ロイ発言の詳細な内容は,後日紹介するとして,ロイの魅力は何といっても,そのあふれるばかりの機知とユーモアだ。セミナーで発言を求められたとき,聴衆に向かってロイはこう話し始めた。

ロイ: 皆さん,靴を投げたい人は,いますぐ投げて下さいネ・・・・・
会場から: 私たちはもっと上品だよ・・・・・等々
ロイ: あぁ,それなら結構,安心しました。お上品も時によりけれどもですけれどもネ。え~と,それでは・・・・・

「靴投げ」は,もちろん侵略地イラクの記者会見で靴を投げつけられたブッシュ元大統領を皮肉ったもので,これによりロイはこれからの話がインド体制派の「靴投げ」を招きかねない「過激な」ものになることを予告したのだ。うまい。

また,このAzadiスピーチが予想通り体制派からの「靴投げ」を招き,デリー裁判所がFIR受理を命令すると,ロイは「ネルーもまた訴えるべきだ」(Outlook India, 28 Nov)を発表し,ロイとまったく同じことを,より過激な表現で繰り返し明言したネルーの言葉を抜粋し,反撃した。

ネルーの発言
「争いのある領土や州の帰属は人々の意思により決定されるべきであり,われらはこの立場を堅持する。」(31 Oct 1947)
「カシミールのことはそこの人々が決定すべきだ,とわれわれは宣言した。」(2 Nov 1947)
「カシミール帰属は,住民投票で決定されるべきだ,と私は繰り返し表明してきた。」(21 Nov 1947)
他に同趣旨の発言11例を引用。

攻撃に対して攻撃者側に反撃させる。実にうまい。まめだ。こんな魅力的な「過激派」を敵に回して闘うのは,体制派には大変だろう。インド進出(侵出)に躍起の日本企業が,再びロイの厳しい批判の俎上にのせられるのも時間の問題である。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2010/12/08 at 11:09

カテゴリー: インド, 民族

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ロイ,反国家扇動罪で告発される

ニューデリーの裁判所が,アルンダティ・ロイに対する反インド扇動罪容疑での告発を受理した(Outlook India, Nov.10)。

ロイは,ニューデリーで開催された集会「Azadi–The Only Way(自由—-唯一の道)」に参加し,そこで「カシミールはインド固有の領土ではなかった。これは歴史的事実。インド政府ですら,それを認めていた」といった趣旨の発言をした。

告発者たちは,このロイ発言がインド刑法(IPC)124A,153A,153B,500にあたるとして,FIR(First Information Report)により告発していたのだ。

 Outlook India, Nov.10

ロイのこのカシミール自決支持発言は,マオイスト擁護発言以上に深刻な問題に発展する可能性がある。もし日本で,たとえば沖縄は日本固有の領土ではない,といった発言をすればどうなるか? 沖縄は沖縄住民のものであって日本のものではないことは自明のことだが,そんな正論は日本ナショナリズム・日本民族主義からの総攻撃をうけ,生命さえ危険になるかもしれない。ロイのカシミール自決支持は,それほど危険な勇気ある発言なのだ。

このカシミール自決支持発言もそうだが,ロイはつねに原理的な根源的問題と関連づけながら目の前の具体的な問題について発言している。彼女の発言が単なる時局的政論にとどまらない鋭さと重さをもつのはそのためである。

ネパールにも,民族自決など,過激な議論は少なくないが,その多くはロイのような具体的でかつ原理的な突き詰めた議論とはなっていない。大部分は,残念ながら,流行を追うだけの外見的原理主義にとどまっているといわざるをえない。

■Indian Penal Code
Section 124A. Sedition 
Whoever,by words,either spoken or written,or by signs,or by visible representation,or otherwise,brings or attempts to bring into hatred or contempt,or excites or attempts to excite disaffection towards.[* * *] the Government established by law in [India],[* * *] shall be punished with [imprisonment for life],to which fine may be added,or with imprisonment which may extend to three years,to which fine may be added,or with fine.
Section 153A.
Promoting enmity between different groups on grounds of religion,race,place of birth,residence,language,etc.,and doing acts prejudicial to maintenance of harmony……
Shall be punished with imprisonment which may extend to three years,or with fine,or with both.

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2010/11/14 at 23:57

カテゴリー: インド, マオイスト, 民族

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