ネパール評論

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ゴビンダ医師の市民的抵抗,医学部長解任事件最高裁判決に対して(4)

5.「5項目合意」とハンスト終了
最高裁法廷(P・バンダリ判事とBK・シュレスタ判事)は1月10日,ゴビンダ医師の陳述聴取後,保釈金なしで彼を保釈した。一方,パラジュリ最高裁長官については,市民登録証とSLC資格の調査を命令した。ゴビンダ医師の次の出廷は,2月20日の予定。

保釈後,ゴビンダ医師は政府側(D・ボハラ保健大臣ほか)と交渉,1月12日夜,合意に達し,両者は「5項目合意」に署名した。

5項目合意(1月12日)
(1)「医学教育委員会」を組織するための準備委員会を7日以内に設立。
(2)JP・アグラワル医師はトリブバン大学(TU)医学部長の職にそのまま留まる。
(3)TU医学部に権限を戻すために必要なTU役員会を開催。
(4)TU教育病院改革に必要な予算の計上。
(5)ゴビンダ医師のハンスト終了。

この10日の最高裁決定と12日の「5項目合意」をみると,パラジュリ最高裁長官の辞任ないし解任については何も述べていないが,他の重要な点ではゴビンダ医師の要求が大幅に認められていることがわかる。自らの命をかけハンストで抗議したゴビンダ医師の「市民的抵抗」の勝利といってよいだろう。

しかしながら,ネパールでは,ここからが難しい。合意が成立しても,それが誠実に実行されない場合が少なくないからだ。ゴビンダ医師も,パラジュリ長官が辞任しなければハンストを再開する,と警告している。近く発足するであろう左派連合政府が,この問題とどう取り組むか,注目されるところである。

 ■D・ボハラ保健大臣(保健省HP)

参照資料
* “Police Arrests Dr KC on Charge Of Contempt Of Court,” New Spotlight Online, Jan. 9, 2018
* “Dr KC begins hunger strike demanding resignation of CJ Parajuli,” Republica, Jan 8, 2018
* “Dr KC warns of 14th hunger strike demanding authentication of HPE ordinance, Gives 7-day ultimatum to prez,” Kathmandu Post, Nov 6, 2017
* “Dr KC begins 14th hunger strike Demands resignation of Chief Justice Gopal Parajuli,” Kathmandu Post, Jan 8, 2018
* “Contemptible actions – Supreme Court acted harshly in ordering arrest of Dr KC who was only exercising right to protest,” Editorial, Kathmandu Post, Jan 10, 2018
* “Leaders express their solidarity,” Kathmandu Post, Jan 10, 2018
* “Will continue hunger strike till chief justice resigns: Dr KC,” Kathmandu Post, Jan 10, 2018
* “Protesters demand Nepal Chief Justice’s resignation,” Outlook, 09 JANUARY 2018
* “Nepal Medical Association demands immediate release of Dr KC,” Kathmandu Post, Jan 9, 2018
* “Leaders support Dr KC while major parties keep mum,” Republica, Jan 10, 2018
* “Dr Govinda KC says will continue hunger strike,” Himalayan Times, Jan 12, 2018
* “Govinda KC’s charges,” Nepali Times, 12-18 Jan 2018
* “Dr KC continues his fast, Says struggle goes on until remaining demands for reforms in medical education are met – The SC ordered his release on a general date in a contempt of court case on Wednesday, while calling for an investigation into the authenticity CJ Parajuli’s papers,” Kathmandu Post, Jan 12, 2018
* “I assure that the court will be made justice imparting body: Dr KC,” Kathmandu Post, Jan 13, 2018
* “Nepal Bar Association defends CJ Gopal Parajuli, urges Dr Govinda KC to end fast,” Onlinekhabar, Jan 12 2018
* “Bar unhappy with Dr KC’s protest, urges him to end hunger strike,” Kathmandu Post, Jan 12, 2018
* “I don’t need to display my credentials out in the road: CJ,” Republica, Jan 13, 2018
* “Dr KC ends 14th fast-unto-death protest after agreement with govt,” Himalayan Times, Jan 13, 2018
* “Dr KC ends hunger strike following 5-point deal with govt,” Kathmandu Post, Jan 13, 2018
* Baburam Bhattarai, “Struggle for reforms” Republica, Jan 15, 2018
* “Dr KC ends 14th hunger strike ‘Another fast if Chief Justice Parajuli does not resign’,” Kathmandu Post, Jan 14, 2018
* “Dr Govinda KC released without bail,” Kathmandu Post, Jan 10, 2018
* “A written reply furnished by Dr KC to the Supreme Court on Tuesday,” Kathmandu Post, Jan 10, 2018

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/01/23 at 15:04

ゴビンダ医師の市民的抵抗,医学部長解任事件最高裁判決に対して(3)

4.市民的抵抗としてのゴビンダ医師ハンスト
(1)ハンスト支持
ゴビンダ医師が今回のハンストで訴えていることについては,賛成し支持する声が圧倒的に多い。

主要3党は,党としてではないが,幹部がそれぞれパラジュリ最高裁長官を批判し,ゴビンダ医師支持を表明した。またナヤシャクティ(新しい力)党のバブラム・バタライ(元首相)も,長文コメント「改革の闘い」(1月15日付リパブリカ)を発表,ゴビンダ医師の司法改革要求は全く法廷侮辱には当たらないと述べ,彼を全面的に支持した。なにかにつけ不仲のネパール諸党がこれほど意見の一致をみるのは,珍しい。

新聞各紙も,ニュアンスの違いはあれ,ゴビンダ医師の主張を支持している。「カトマンズ・ポスト」は1月10日付社説「見下げ果てた行為:最高裁は抗議の権利を行使したにすぎないKC医師の逮捕を命令した」において,次のように述べている。

「KC医師は,強く求められてきた医学教育改革のために,命がけで繰り返し闘ってきた。その平和を愛し腐敗と闘う改革の闘士が留置され,法廷侮辱容疑で法廷に引き出された。なんたるお粗末な決定か。」

(2)ハンスト反対
政界も市民社会もゴビンダ医師支持が圧倒的多数なのに対し,いわば身内の法曹社会は意見が割れている。

ゴビンダ医師支持の法律家も少なくないが,代表的法曹組織の「ネパール法律家協会(NBA[Nepal Bar Association])」は,法廷陳述後のゴビンダ医師釈放(後述)は歓迎しつつも,彼の最高裁攻撃の方法については,許されないと批判する。

NBAによれば,ゴビンダ医師は,最高裁長官に対し不適切な言葉で人格攻撃をし,ハンストで脅し,司法を混乱させている。ハンストはやめ,憲法の定める「司法委員会」などを通し問題は解決されるべきだ。「独立した司法の尊厳は守られなければならない」(“Bar unhappy with Dr KC’s protest, urges him to end hunger strike,” Kathmandu Post, 20 Jan 2018)。

このNBAの反対にも一理はある。憲法は第101(2)条で連邦代議院による最高裁長官弾劾を,また第153条では「司法委員会」による裁判官の資格審査や腐敗および職権乱用の調査・裁判を認めている。法治国家では,これが裁判官の責任を問う通常の法手続きであることに間違いはない。

しかしながら,もしこの裁判官弾劾手続きが,憲法の規定通り機能しない場合,市民はどうすればよいのか?

(3)市民的抵抗としてのハンスト
こうした場合,国家社会の構成員たる市民には,市民として悪政に抵抗する権利,すなわち「市民的抵抗(civil disobedience)」の権利がある。

ネパールでは,現行2015年憲法が世界最高水準の民主的司法制度を定めているが,残念ながら実際にはまだそれが規定通り運用されない場合が少なくない。今回のゴビンダ医師法廷侮辱事件裁判も,その典型である。

ゴビンダ医師は,パラジュリ最高裁長官の行為を職権乱用と確信し,自らの市民としての良心に基づき一人でハンストを行い,憲法の認める言論の自由を行使して長官を批判し辞任を要求した。

もしかりに彼のこの行為のある部分が法の定める異議申し立て手続きに形式的には反しているとしても,それは市民的抵抗として,近現代社会では正当な(legitimate)行為と認められるはずである。

ゴビンダ医師自身が,1月9日の法廷において,こう述べている。「私は,法廷侮辱罪のことはよくわきまえている。職務を正しく遂行する裁判官を尊敬してもいる。しかし,不当な判決を下し誤った行為をする裁判官に反論するのは,決して法廷侮辱には当たらない。それこそが,法廷を尊重することに他ならないのだ。」(“Dr KC: Criticism of controversial judgement not contempt of court,” Kathmandu Post, 10 Jan 2018)

ゴビンダ医師は,裁判官や判決の批判は法廷侮辱ではない,あくまでも合法的ないし合憲的行為だ,とここでは弁明している。これは「市民的抵抗」を根拠とする主張ではない。

しかしながら,ゴビンダ医師の対最高裁長官ハンスト闘争は,たとえ形式的には罪に問われようが正義のために命をかけて闘いぬく,それが市民としての義務であり,またそれこそが司法を本来の姿に戻すことになるという固い信念に基づくものだ。これは「市民的抵抗」に他ならない。

(4)「市民的抵抗」嫌いの市民的抵抗
「市民的抵抗」は,ガンジーが唱え実践したことで知られているが,なぜかネパールでは人気がない。ネパールはガンジー嫌い? インド嫌いが高じて「市民的抵抗」嫌いになってしまったのか? ここのところは,いまのところよくわからないが,いずれにせよネパールの政治や学界において真正面から「市民的抵抗」が掲げられ,あるいは議論されることは,少ない。

ところが,実際には,内容的には「市民的抵抗」に他ならない闘争が,各地で繰り返し行われてきた。「市民的抵抗」だらけ。これは,市民の諸権利が形式的に合法的な手段では守られないことが少なくなかったからである。形式的合法性(legality)よりもむしろ実質的正当性(legitimacy)に訴える。日常茶飯事だったから,あえて「市民的抵抗」として理論化する必要がなかったのかもしれない。

そのネパールで「2015年憲法」が制定された。民主的な法制度や政治制度を定めた世界最高水準の憲法。その憲法に基づき2017年には連邦,州,市町村の選挙も実施された。形式的合法性のための諸制度は,ほぼ実現された。

ネパールの次の課題は,この形式的合法性により実質的正当性を実現していくこと。憲法の実践ないし具体化。

この2015年憲法体制の下で,皮肉なことに,憲法と現実との矛盾は,むしろ以前以上に鮮明となるであろう。形式的合法性だけに依拠していては,実質的正当性が確保できない事例の先鋭化。そうした場合,闘いの理論的根拠として,「市民的抵抗」が要請されることになるであろう。ガンジーはどうも,インドは嫌い,などと言ってはいられない。

その現代ネパールにおける「市民的抵抗」の範例の一つとして,ゴビンダ医師の抗議ハンストは位置づけられてよいであろう。

 
■敵をも愛したガンジー/巨大ガンジー像の前で学ぶ学生と教師(ニューデリー,2010年3月撮影)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/01/22 at 14:55

ゴビンダ医師の市民的抵抗,医学部長解任事件最高裁判決に対して(2)

3.ゴビンダ医師の法廷陳述
ゴビンダ医師は,1月9日の法廷(P・バンダリ判事とBK・シュレスタ判事)において,11項目に分け陳述を行った。趣旨は抗議ハンスト時の発言と同じ。激しい言葉でパラジュリ最高裁長官を容赦なく徹底的に糾弾している。もしこの中に事実に反する部分があれば,法廷侮辱の動かぬ根拠とされかねないほど際どい陳述だ。陳述(弁明書)要旨は,カトマンズポスト記事*によれば,以下の通り。
*”A written reply furnished by Dr KC to the Supreme Court on Tuesday,” Kathmandu Post, 10 Jan 2018.

ゴビンダ医師の法廷陳述要旨
(1)パラジュリ最高裁長官は,2か所から市民登録証を取得している。これは万人周知の事実。市民登録証を1通だけでなく,それ以上取得する人物は,不道徳で不法。これは犯罪。それゆえ,彼を取り調べ処罰すべきだ。

(2)パラジュリ長官は年齢を偽っている。最高裁長官には,カトマンズ郡役所発行の2枚目の市民登録証の年齢に基づき,在職している。ところが[別の市民登録証によれば],彼は2074年アサド月(2017年6-7月)に,すでに満65歳に達している。法定の停年は65歳。この種の行為は「司法商売」も同然だ。

(3)パラジュリ長官は,LS・カルキ職権乱用委員会(CIAA)委員長を無罪にした後,甥をCIAA顧問に採用してもらった。権威ある司法が売り買いされた。彼は職権乱用罪で処罰されるべきだ。

(4)パラジュリ長官の中等教育終了試験(SLC)合格資格には疑義がある。この件にはスシラ・カルキ前長官の関与も疑われている。裁判官に必要なSLC合格資格を持たずに,どうして最高裁長官たりうるのか? これは,国家や裁判所を暗闇に引き込む犯罪ではないか?

(5)パラジュリ長官は,SLC以外の学歴や資格についても,疑義がある。司法委員会や憲法委員会での審査資料に基づき,調査せよ。

(6)ジャグディシュ・アチャルヤ土地関係事件の裁判で,パラジュリ長官は政府の土地政策を否定し「土地マフィア」有利の判決を下した。「司法が売られた」のではないか?

(7)パラジュリ長官のホテル・カジノ税免除判決は,「司法の死」をもたらすものだ。国家は税収を失った。「司法を殺す」人物に司法の独立が守れるのか?

(8)パラジュリ長官は,Ncell[通信事業会社]事件など様々な事件の裁判において,腐敗を助長した。Ncellの場合,600億ルピーの納税を免れた。これは法の支配に対する嘲笑ではないか。彼の下した判決は見直されるべきだ。

(9)パラジュリ長官は,義理の甥を半年の間に補助裁判官から補助裁判官長,高裁裁判長へと昇進させた。名誉ある最高裁長官たるに不可欠のモラルなし。関心を持つ市民の一人として,彼の辞任を求める。さもなくば,司法の独立と自由が妨害され続けるだろう。

(10)パラジュリ長官の就任は夜の10時半。前任のスシラ・カルキ長官に対する弾劾動議が提出されたその夜のことだった。どの法がこのようなことを認めているのか? 不法行為に関与する人物に司法の尊厳は守れない。彼は辞任すべきだ。

(11)『日刊カンチプル』は,その記事「ゴパル・パラジュリあれば,医科大訴訟あり」を理由に法廷侮辱罪で訴えられたが,無罪となった。記事の記述は司法的に認められたのだ。そのような人物が名誉ある最高裁判所長官の職にとどまることは適切ではない。

[結び]「ゴパル・パラジュリ最高裁長官は,司法への信頼および司法の尊厳と独立に対し挑戦してきたのであり,その行為は法廷侮辱罪にあたるので,私は裁判所に対し,彼を法廷侮辱罪に問うことを要請する。私に対する告発には根拠がない。パラジュリを除く他のすべての最高裁判事からなる法廷に,この事件の審理を求めたい。」

■最高裁(同HPより)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/01/21 at 14:25

ゴビンダ医師の市民的抵抗,医学部長解任事件最高裁判決に対して(1)

トリブバン大学医学部教育病院のゴビンダ・KC(गोविन्द के.सी.)医師が2018年1月8日夕方,最高裁長官を侮辱した容疑で逮捕され,シンハダーバー警察署に留置,翌9日朝,最高裁に連行され(9時到着),体調悪化のため警察救急車内で待機,午後2時から法廷で尋問された。10日,釈放。

この最高裁長官主導のゴビンダ医師法廷侮辱事件は,あまりにも唐突で強引で「お粗末」(10日付カトマンズポスト社説),ネパール司法の権威を著しく損なうことになった。

1.最高裁の不可解な医学部長解任事件判決
今回の法廷侮辱事件のそもそもの発端は,最高裁法廷(ゴパル・プラサド・パラジュリ長官とDK・カルキ判事)が1月7日,トリブバン大学(TU)医学部(IoM)の当時(2014年1月)学部長であったシャシ・シャルマ医師の学部長解任を無効とする判決を下したこと。

S・シャルマ医師は2014年1月10日,医科大認可をめぐる混乱のさなか,TU理事会により医学部長に選任された。これに対し,ゴビンダ医師らが不公正選任として反対,その結果,2014年1月22日,KR・レグミ暫定内閣首相がTUに対し学部長任命の取り消しを命令,S・シャルマ医師は学部長を解任された。

シャルマ医師は直ちに解任は不当と訴えたが,最高裁法廷(S・カルキ長官)はこれを棄却した。その後も学部長人事を巡り混乱が続いたが,少しずつゴビンダ医師がネパールの現状では最も公正と主張する年功選任が認められるようになり,現学部長も年功により2016年12月3日に選任されたJ・アグラワル医師が務めている。

ところが,2018年1月7日,最高裁法廷(GP・パラジュリ長官とDK・カルキ判事)が唐突にも(少なくとも事前報道は見られなかった),4年弱前のS・シャルマ医学部長解任の政府決定を無効とする判決を下した。

この最高裁判決がそのまま適用されれば,S・シャルマ医師は医学部長に復職することになるが,たとえ復職しても医学部長任期は1月14日まで。ほんのわずかにすぎない。なぜ,こんな不自然な,不可解な判決を下したのか?

2.ゴビンダ医師の抗議ハンストと法廷侮辱容疑逮捕
1月7日のS・シャルマ医学部長解任無効最高裁判決に対し,ゴビンダ医師は猛反発,翌8日午後4時からTU教育病院前で抗議ハンスト(通算14回目ハンスト)を開始した。

ゴビンダ医師は,最高裁は「医学マフィア」とつながっているなどと激しい言葉でパラジュリ最高裁長官個人とその判決を容赦なく批判し,長官の辞任と判決の見直しを要求した。

これに対し最高裁は,担当官ネトラ・B・ポウデルに指示してゴビンダ医師を法廷侮辱容疑で告発させ,内務省を通して警察にゴビンダ医師を逮捕させた。逮捕は1月8日夕方,ハンスト開始後すぐのことであった。まさに電光石火,デウバ首相ですら,この動きを知らされていなかったという。

警察は,シンハダーバーの首都警察署にゴビンダ医師を留置し,翌9日午前9時に最高裁に連行した。担当裁判官はP・バンダリ判事とBK・シュレスタ判事。ところが,手続きが延々と続き,ゴビンダ医師の体調が悪化したため,彼は警察の救急車に移された。彼の法廷陳述が始まったのは,ようやく午後2時になってからのこと。手続きのための長時間待機はネパールの長年の慣行とはいえ,これは拷問に近い扱いである。

最高裁での法廷陳述終了後,ゴビンダ医師はビル病院に移された。次の出廷は2月20日の予定。


■ゴビンダ医師(連帯FB)/パラジュリ最高裁長官(最高裁HP)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2018/01/20 at 17:23

「夫婦別姓」最高裁判決を前に

最高裁大法廷は,12月16日午後,夫婦同姓を定めた民法750条の違憲訴訟に対する判決を下す。おそらく選択的夫婦別姓を認めるものとなるだろう。この問題については,すでにいくつか議論をした。以下,ご参照ください。(古い資料のためリンク切れなどがあります。ご了承ください)

【参照】 ⇒⇒⇒⇒「夫婦別姓」(谷川)[一部リンク切れ]
別姓パスポートを取ろう!
夫婦別姓パスポートを取得した。結婚改姓後、戸籍名パスポートを使用してきたが、国際化とともに不便さがつのり、通称名表記に切り替えた。 別姓パスポートは、正式の制度であり、取得手続きは簡単だ。通称名使用の事実を示す資料と、別姓パスポートの必要 …

別姓クレジットカードを作ろう!
通称名で生活していると、クレジットカードも通称名のものが必要になる。たとえば、通称名で会員登録をしている場合、会費支払いは通称名でないと、面倒だ。別姓クレジットカードを作り、普及させよう!
151210c151210b
住基ネット―夫婦別姓で笑殺
住民基本台帳ネットワークの危険性は自明であり、多言を要しない。あのペンタゴンでさえハッカーに侵入された。総務庁の防衛力はペンタゴン以上か? また、公務員不祥事は枚挙にいとまがない。権力乱用はある、というのが、健全な政治の …
夫婦別姓パスポートはネパールで
某地獄耳情報によると,夫婦別姓パスポートは,旅行者でも在外大使館(在ネパール日本大使館など)で比較的簡単に取得できるそうだ。 日本国家は,明治以降,家制度を天皇制国家の基礎 …
▼別姓 ・公文書でも旧姓表記!
旧姓使用許可書(長崎大)長崎大学における旧姓使用(2002)

合憲判決(12月17日追加)
最高裁大法廷は12月16日,民法750条の夫婦同一姓規定を合憲と判断した。理由は,(1)姓の選択は当事者夫婦の自由であること,(2)夫婦同一姓は「社会的に定着」していること,(3)旧姓通称使用の広がりにより改姓の不利益を一定程度緩和できること。

この判決は,「夫婦同姓」規定を違憲とまでは言えないと判定し,選択的夫婦別姓制度にするか否かは国会で決定すべき事柄だという立場をとっている。最高裁のこれまでの憲法判断に対する慎重な,あるいは消極的な,いや臆病な姿勢からすれば,さもありなん,といったところ。

夫婦同一姓の法的強制に対しては,「市民的抵抗」を継続強化し,対抗すべきであろう。結婚改姓をした夫または妻が,別姓のパスポート,クレジットカード,ポイントカードなどを最大限保有し続け,また新たに作成し,そして生活の他のあらゆる場面においても別姓を最大限使用する。そうすることによって,夫婦同一姓を骨抜きにし,法的強制を事実上不可能としてしまうのだ。

夫婦別姓を市民的抵抗により「社会的に定着」させてしまう。そうすれば,臆病最高裁をまつまでもなく,国会が民法改正に向かうであろう。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2015/12/10 at 11:21

マオイストの憲法案(10)

4(3)自由権(6)

[6]個人に対する著しい不正,暴行および搾取に対する最後の手段としての反逆の自由(23条(2)g)

これは,個人の抵抗権の規定。「但し書き」による制限はない。このような抵抗権の保障は,1962年憲法にはむろんのこと,1990年憲法にも2007年暫定憲法にもない。マオイスト憲法案の目玉の一つといってよい。

1)抵抗権の実定法化としての憲法
近代国家は,もともと旧体制に対する革命ないし抵抗の結果,生み出されたものである。たとえば,「アメリカ独立宣言」や「フランス人権宣言(1789)」にそのような宣言がある。

アメリカ独立宣言(1776)
「われわれは,自明の真理として,すべての人は平等に造られ,造物主によって,一定の奪いがたい天賦の権利を付与され,そのなかに生命,自由および幸福の含まれることを信ずる。また,これらの権利を確保するために人類のあいだに政府が組織されたこと,そしてその正当な権力は被治者の同意に由来するものであることを信ずる。そしていかなる政治の形態といえども,もしこれらの目的を毀損するものとなった場合には,人民はそれを改廃し,彼らの安全と幸福とをもたらすべしとみとめられる主義を基礎とし,また権限の機構をもつ,新たな政府を組織する権利を有することを信ずる。・・・・

連続せる暴虐と簒奪の事実が明らかに一貫した目的のもとに,人民を絶対的暴政のもとに圧倒せんとする企図を表示するにいたるとき,そのような政府を廃棄し,自らの将来の保安のために,新たなる保障の組織を創設することは,彼らの権利であり,また義務である。」(斉藤真訳,岩波文庫,114-115頁)

フランス人権宣言(人および市民の権利の宣言)(1789)
「あらゆる政治社会形成の目的は,人の自然的で時効消滅することのない権利の保全である。その権利とは,自由,所有権,安全,圧政への抵抗である。」(高橋和之訳,岩波文庫,316頁)

近代国家の憲法の規定する自由や権利は,こうした革命や抵抗の成果を憲法条文に実定法化したものだといえる。換言するなら,近代憲法の保障するどの自由や権利にも,憲法をつくり出した人民の革命権や抵抗権が堅固な基盤として埋め込まれているといってよいだろう。

しかし,その一方,革命ないし抵抗が成功し,その成果が憲法の中に書き込まれてしまうと,自由や権利は憲法が保障する実定法上の自由や権利となり,憲法の定める方法で主張され守られるべきものとなってしまう。

2)法実証主義による抵抗権の否定
この考え方を徹底させたのが法実証主義(legal positivism)である。この立場に立つと,実定法に優位する自然法のようなものの法的効力は認められない。悪法も法である。したがって,現に有効(valid)な実定法への抵抗を権利として認める抵抗権は,憲法においても規定することはできない。悪政や悪法への抵抗はあり得ても,それは事実としての抵抗であり,実定法としての憲法の規定する権利ではありえない,という考え方だ。

この実定法の考え方は明快ではあるが,その反面,形式的に合憲的な権力による自由や権利の実質的な侵害に対し,憲法を根拠として抵抗することが困難になるという問題がある。悪法も法であり,改正されるまでは,国民には遵守義務がある。たとえ悪法と思われても,法を破る抵抗行為を法的権利として主張する余地はない。

これは、自由や権利にとっては危険な考え方であり、事実、たとえばナチスはこれを巧妙に利用し、残虐非道な全体主義支配を行うことに成功した。

3)抵抗権の憲法規定
こうした行き過ぎた法実証主義への反省から、自然法や抵抗権が再評価され、憲法の中にも抵抗権が書き込まれるようになった。代表的なものとしては、ドイツ基本法がある。

■ドイツ基本法第20条
「すべてドイツ人は、この秩序(合憲的秩序)を排除することを企図する何人に対しても、その他の救済手段を用いることが不可能な場合には、抵抗する権利を有する。」(『世界憲法集』岩波文庫)

アジアでは、タイ王国憲法(1997)に抵抗権の規定がある。

■タイ王国憲法65条
「何人も、本憲法が規定していない方法により、国家統治権の収奪につながる行為に、平和的に抵抗する権利を有する。」(『アジア憲法集』明石書店)

4)日本国憲法の抵抗権
日本国憲法には「抵抗権」の文言はないが、内容的に抵抗権と考えられる規定はある。

■日本国憲法第12条
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」

ここには「抵抗」の文言はないが、自由と権利の保持義務が定められており、そこからは当然、それらの侵害に対する抵抗の義務、つまり抵抗権が導き出される。

しかし、この自由や権利の保持努力は、先述のように、憲法秩序のあるところでは、合法的手段によるものに限定されるという見方もある。実定法としての憲法は、有効な実定法に違反する行為を法的権利として正当化することはできないという論理である。

もちろん、自由や権利が侵害され、実定法による救済が全く期待できないような場合はあり得る。そうしたときの抵抗は、自然法を認める立場に立てば、自然法上の権利(自然権)となり、自然法を認めない立場に立てば、事実としての抵抗となる。しかし、いずれにせよ、それは実定法としての憲法上の権利ではない、という考え方である。

この問題、すなわち抵抗権は憲法上の権利か否かは、難しい問題であるが、結局、それは憲法の究極的解釈権が誰にあるかによって決まると考えられる。憲法は、制定後は、もっぱら憲法の定める手続きによって立法・行政・司法を通して解釈・適用されると考えるなら、その国家統治に反する抵抗行為を法的権利として正当化することは、憲法それ自体にはできない。

しかし、憲法が、立法・行政・司法による、あるいは国家の実定法による救済が不可能と国民が判断する場合は、自由や権利を保持するためそれらに抵抗する権利がある、と規定しているのであれば、抵抗権は憲法上の権利と言うことになるであろう。

たしかに、憲法設置の立法・行政・司法が形式的には合憲でも実質的には憲法実序を著しく侵害し、しかも合法的手段ではそれを阻止できない場合は、ありうる。そうした場合、憲法自体が抵抗権を認めておれば、違憲的統治への抵抗は憲法上の権利ないし義務となり、抵抗は合憲化・正当化され抵抗が容易となる。

しかし、具体的に、誰が、いつ、どのような形で抵抗権を行使できるかとなると、これは難しい。抵抗権行使の条件を緩くすると、憲法の定める合法的手続きが空洞化し、統治が不安定化する。悪法は法ではないから服従義務はないということになれば、恣意的解釈による法律無視が横行し、アナーキーになりかねない。逆に、要件を厳しくすると、結局、抵抗権を発動できなくなり、憲法に規定する意味が無くなってしまう。これは、近代的抵抗権理論の始祖ジョン・ロック以来、つねに問われ続けてきた難問である。

抵抗権発動の要件は難問であるが、それでもやはり憲法あるいは自由や権利が根底から破壊されそうなとき、人民には抵抗権がある、と憲法に規定することの意義は大きい。それは、そのような規定がない場合と比較してみれば、自明である。

5)市民的抵抗
それともう一つ、悪政や悪法に対する抵抗には、HD・ソローやガンディー、ML・キングらが唱え実践した市民的抵抗(civil disobedience)がある。これは、悪政や悪法への服従を拒否して抵抗するが、服従拒否に対する処罰は甘受するというところに特徴がある。

悪法を破り、有罪判決を受けたら、その判決に従い投獄される。その服従拒否・裁判・投獄の過程を通して、悪政や悪法の実態を暴き、これを世間に広く知らしめ、統治者に反省を迫り、悪政を改めさせる、という考え方である。

非力なユートピア思想のように見えるが、強い信念と適切な戦略・戦術があれば、これもきわめて有効な抵抗方法である。ガンディーのインド独立運動やキング牧師の黒人公民権闘争がそれを如実に実証している。

この市民的抵抗も、抵抗権の一種といってよい。市民的抵抗は憲法に抵抗権の規定がなければ、一種の自然権として行使される。もし抵抗権の規定が憲法にあれば、それは憲法上の抵抗権行使の一つとして正当に行使されるであろう。たとえば、ドイツ基本法は抵抗方法を限定していないので、実力による抵抗も可能であろう。これに対し、タイ王国憲法は「平和的に抵抗する権利」と限定しているので、これは市民的抵抗の規定といってよいであろう。

6)マオイスト憲法案の「反逆の自由」
では、マオイスト憲法案の「反逆の自由(freedom to revolt)」については、どのように考えたらよいのか? 

マオイスト憲法案の「反逆の自由」は、抵抗権ではあるが、他の憲法のそれとはかなり異なる。ドイツ基本法は、憲法秩序の破壊に対して抵抗する権利をすべてのドイツ人に認めている。抵抗方法の限定がないので、必要なあらゆる手段で抵抗する権利と見てよいであろう。

タイ王国憲法は、違憲な方法による国家統治権奪取(簒奪)に対し平和的に抵抗する権利を、すべての人に認めている。先述のように、「平和的」と限定しているので、非暴力的な抵抗に限定される。市民的抵抗のような抵抗権行使である。

日本国憲法は「国民の不断の努力」と規定するだけなので、自由や権利を守るため、どのような抵抗方法をとることができるか、ここからだけでは明確ではない。しかし、日本国憲法の根本原理の一つは平和主義であり、非戦非武装を前文と9条で規定しているので、自由や権利を守るためのギリギリの抵抗も非暴力的抵抗と考えなければならない。市民的抵抗である。

これに対し、マオイスト憲法案は、「個人に対する著しい不正、暴行および搾取」に対する「最後の手段としての反逆の自由」を規定している。抵抗権発動の目的が、ドイツ基本法とタイ王国憲法では憲法秩序の破壊から憲法を守ることであるのに対し、マオイスト憲法案では実質的には個人の権利を守ることであり、これは日本国憲法第12条とほぼ同じである。しかし、抵抗の手段の限定がないので、ドイツ基本法と同じく、必要なあらゆる手段を執りうると見てよいであろう。

しかも、注目すべきことに、この「反逆の自由」には「但し書き」による限定がない。したがって、他に手段がないと判断したら、誰でも「最後の手段」としてこの「反逆の自由」を行使できるのだ。これは、アナーキーの容認といってよいほどの驚くべき規定である。マオイストは、どうしてこのような「革命的」な規定を憲法案に入れたのであろうか?

ここでもやはり、マオイストは憲法を攻撃の道具として使うことばかり考え、自分たちが権力に就いたときのことには考えが及んでいないと断じざるをえない。コングレス党や統一共産党(UML)が権力にあるとき、この「反逆の自由」は強力無比の政府攻撃の武器となる。しかし、もしマオイスト政権となれば、今度は、マオイストがこの「反逆の自由」により攻撃されることになる。そこのところに、マオイストの考えは及んでいないらしい。制憲議会で大勝利し、議会第1党になっているにもかかわらず。

マオイスト憲法案の「反逆の自由」は、ドイツ、タイ、日本の抵抗権規定に比べ、はるかにずさんといわざるをえない。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2011/03/27 at 17:25