ネパール評論

ネパール研究会

Archive for 12月 2019

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(4)

3.動物供儀反対派の主張
動物愛護諸団体は,ガディマイ祭での動物供儀をやめさせるため大々的な運動を繰り広げてきたが,今年も阻止は出来なかった。それでも,彼らの反対運動は西洋を中心に支持を拡大しており,いずれネパール政府もガディマイ寺院も動物供儀廃止に追い込まれる公算は大とみざるをえない。

では,動物愛護諸団体が動物供儀に反対する理由は,具体的にはどのようなものであろうか? 以下,代表的な反対論をいくつか,重複もあるが,紹介する。

(1)国際人道的動物愛護協会(Humane Society International)
①ウェンディ・ヒギンズ(HSI報道担当)
「残虐な殺し方,それに疑いの余地はない。動物たちは,太刀のようなもので首を切り落とされる。悲惨なことに,動物たちは仲間の目の前で殺され,なかには自分の子供の目の前で殺される母親もいる。調査団が殺し方を直に目撃し報告しているところによれば,少なくとも水牛は多くの場合,すぐに落命することはない。苦しそうに幾度かあえぎながら,死んでいくのだ。」(*19)

■Humane Society International, HP

②HSI-印
「伝統と信仰のワナから抜け出せば,動物供儀が残虐な時代錯誤であることは自ずと明らかになる。倫理的ないし進歩的を自認する社会にとって,動物供儀は唾棄すべき呪いのようなものだ。
 道徳的根拠はとりあえず別にするとしても,動物供儀の禁止は,環境や経済の観点からも重要だ。供儀の場では,腐敗死骸や糞便が病原体を増殖させ,様々な人畜疫病を広めることになる。1995年にネパールで「小反芻獣疫(PPR,ヤギ疫病)が発生したが,これはガディマイに動物を集めたため流行したのだとみられた。動物供儀はまた,農業にとって大切な,健康な家畜の減少をもたらす。さらに,供儀参加者の多くは貧しく,その彼らにとって,動物を求め供儀するに必要な経費は途方もない額に及び,耐えがたい経済的重荷となる。
 それに加えて,このような動物供儀は動物への暴力を助長するものであり,大人も子供もそれを見ているのだ。多くの学者がはっきりと立証したように,暴力的な行為(対人間,対動物を問わず)を目にした人々は,子供も大人も,人間に対しても暴力的となる傾向がある。暴力をなくすことは,動物のためだけではない。それは,人間のためであり,この地域の中核的文化価値たる無殺生のためである。」(*7)
「何世代にもわたって迷信により正当化され伝統として受け入れられてきたこの種の儀式を止めるよう民衆を説得しなければならない。」(*7)

③アルカブラバ・バール(HSI-印)
「若い水牛たちが殺された水牛に躓きながら歩き,子牛たちは水牛が屠殺されるのを見つめ,また別の水牛たちは刃を逃れようとしたが,尻尾や後足をつかまれ,引き倒された。」(*8)

④ガウリ・マンレキ(HSI-印顧問)
「動物供儀は時代錯誤きわまる行事であり,現代世界では,そのようなことを喜ぶ国は一つもない。」(*3)

⑤アロクパルナ・セングプタ(HSI-印事務局長)
「国境でわれわれが多くの山羊,鳩,水牛を救ったので,信者らは以前のガディマイ祭のときより何千も少ない水牛しか買うことが出来なかった。今回は無血ガディマイを実現できなかったが,そのうち必ず,この身の毛もよだつ見世物を終わりにさせるつもりだ。」(*20)

■Humane Society International / India, FB 2019/12/05

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/12/31 at 10:31

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(3)

2.動物供儀禁止への動き
ガディマイ祭での動物供儀は,情報化の進展もあって,2009年度の大量供儀が生々しい写真や動画付きで大々的に報道されると,西洋の動物愛護諸団体や印ネの非暴力・非殺生(アヒンサー)主義者たちの激しい反発を招き,その結果,ネパール政府とガディマイ寺院は動物供儀に何らかの規制をかけざるをえなくなった。(以下,末尾参考文献参照)

ネパール最高裁は2014年と2016年,ガディマイ祭での動物供儀をやめさせるための措置をとるよう政府に対し命令を下した。さらに2019年9月にも最高裁が同様の措置命令を出し,これに基づき11月には文化・旅行・航空省,内務省,通信・情報技術省が動物供儀中止を訴えるアピールを出した。また,ガディマイ祭実行委員会自身も2015年,動物供儀をやめると決めた,と報道された。その結果,供儀動物は,2009年に比べると,2014年と2019年には大幅に減少した。

しかしながら,最高裁の動物供儀禁止措置命令や関係各省の中止アピールは単なる努力義務と解され,事実上ほとんど無視されたし,またガディマイ祭実行委員会の動物供儀中止発表も,実際には,寺院境内での水牛供儀を禁止しただけだとか,「平和の象徴としての鳩」は供儀しないということだなどとされてしまった。

さらに,インド最高裁は2014年から,ガディマイ祭への動物のインドからの持ち出しを禁止しているのだが,この禁止命令も十分な実効性は持ってはいない。参拝者も供儀動物も,依然として,その多くがインド側からなのだ。

ガディマイ祭は,激しい反対運動により供儀動物の数は減ったものの,今もって世界最大の動物供儀祭であることに何ら変わりはないのである。

動物供儀動画(「残虐」とされる画面あり,閲覧注意)
■Bloodless Gadhimai FB, 3 Dec.

(注)12月31日,一部追加修正。

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/12/30 at 16:20

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(2)

1.2019年ガディマイ祭の概要
今年のガディマイ祭は,12月3日に水牛,翌4日に他の動物が供儀された。その供儀動物数は,報道によりかなり異なるが,おおよそ次の通り(*1,5,7,8,13,16,23,24)。
【参拝者]150万人以上
【警備要員]警官1千人,武装警官3百人
【供儀執行係]200人
【供儀動物]水牛 3千~6千5百(山羊,鶏等を含め総数?)
 [2014年 水牛 3千5百(山羊,鶏等を含め総数20万)]
 [2009年 水牛 1万(山羊,鶏等を含め総数25~50万)]

この150万人もの参拝者の約7割はインドから来た人々であり,供儀動物の多くも国境を越えインドから持ち込まれたものである。その意味では,ガディマイ祭は,ネパール人というよりもむしろインド人のための祭りという色彩が濃いとみてよいであろう(*25,26)。

ガディマイ祭において最も重要なのは,いうまでもなく水牛供儀である。今年も,数千頭の水牛が,寺院近くの柵で囲まれたクリケット場(ないしサッカー場)ほどの広場に集められ,12月3日,供儀係約200人によりククリ刀で次々と首を切り落とされていった。

供儀後の水牛については,頭は供儀数確認のため残し(確認後の扱い不明),胃腸など不要部分は穴を掘り埋めてしまう。肉や皮や骨は利用されるが,報道では具体的な利用方法がいま一つはっきりしない。
 ・肉は,供儀した人々がプラサド(供物)として食べたり持ち帰ったりする。皮は,寺院に納められて売却され,祭り経費に充てられる。(寺院高僧,Animal People Forum, 3 Dec)(*28)
 ・人々が持ち帰るか,商人に売却(Reuters, 4 Dec)(*14)
 ・カトマンズに運び,売却(New York Times, 6 Dec)(*23)
 ・インドとネパールの会社に売却(WIKI)
 ・持ち込み供儀した人々や他の参拝者らが食べたり持ち帰ったりする。(Animal People Forum, 3 Dec)(*27)
 ・チャマール(ダリット)の人々が持ち帰り,売ったり加工したりする。ただ,最近は,引き取り拒否が増加(Kathmandu Post, 2 Dec)(*10,28)

ネパールでも現在は,認可された処理施設で衛生的に処理された肉以外の取引は法律(Animal Slaughterhouse and Meat Inspection Act, 1999)で禁止されている。ガディマイ祭では,水牛以外に山羊や鶏が供儀され,大量の肉や皮が残される。冬で寒いから大丈夫とされ,供儀者や地域の人々が周辺で食べたり持ち帰ったり,あるいは商品として売買しているようだが,これには法的にも衛生的にも問題があるとされている。

■2019年ガディマイ祭FB(12月4日)

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/12/29 at 17:43

ガディマイ祭:動物供儀をめぐる論争(1)

ガディマイ祭(गढ़िमई पर्व , गढ़िमई मेला)が,この12月3,4日を中心に,約1か月にわたり開催された。

この祭りは,5年ごとにバラ郡バリヤプルで開催される世界最大の動物供儀祭。総数数十万にも及ぶ,おびただしい数の水牛,山羊,雄鶏などが寺院近くの広い供儀場に連れてこられ,ガディマイ女神に犠牲として捧げられる。

この祭りについては,このブログですでに何回か紹介した。以下では,今年のガディマイ祭について,賛否を中心に紹介する。重複や,情報錯綜による矛盾もあるかもしれないが,ご容赦願いたい。

ガディマイ祭関連ブログ記事
動物の「人道的」供犠:動物愛護の偽善と倒錯
動物供犠祭への政治介入:動物権利擁護派の偽善性
血みどろのゴルカ王宮
インドラ祭と動物供犠と政教分離
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(1)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(2)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(3)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(4)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(5)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(6)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(7)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(8)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(9)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(10)
ガディマイ祭:動物供犠と人間の業(11)
動物供犠停止か? ガディマイ祭
ガディマイ祭動物供犠,最高裁禁止命令

2019年ガディマイ祭FB

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/12/28 at 19:31

福知山の印ネ料理店

福知山を車で通ったので,駅前のインド・ネパール料理店「ナマステ」に立ち寄り,Bランチを食べてきた。カレー2種,タンドリーチキン(小),ナン(大),ご飯(小),野菜サラダ(小),ラッシーの昼定食で,1050円。

福知山は,この地方の中心商都で,かつてはお城近くの市街に商店が多数立ち並び,たいそう繁盛していたが,いまは見る影もない。旧商店街はシャッター通りとなっている。

「ナマステ」は,それでも駅正面向かいという好立地もあってか,平日午後1時すぎだったのに,そこそこ繁盛していた。高校生グループや,山好きらしいお客さんもいた。

このところ地方へのネパール料理店の進出は目覚ましい。食は文化。村おこし,町おこしの新しい契機の一つとなってくれるのではないだろうか。


 ■インド・ネパール料理店「ナマステ」


 ■福知山駅/福知山城(福知山観光協会HP

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/12/18 at 14:42

カテゴリー: ネパール, 経済, 文化, 旅行

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老老介護(17):蟻地獄に落ち込む前に

老老介護には様々な困難があるが,最も深刻なものの一つが,介護者の精神的・身体的疲労の蓄積の結果,介護者自身が介護の蟻地獄に落ち込んでしまうことだ。

老老介護は,介護される側も介護する側も,ともに高齢者。しかも,老化は両者ともに不可逆的に進行する。介護負担が日々重くなる一方なのに,それに反比例し,介護者の介護能力は落ちていく。

この状況では,介護者が介護を続けようと頑張れば頑張るほど,介護者には必然的に疲労が増大し蓄積していく。そして,疲労が蓄積すればそれだけ介護能力が落ちるので,介護者はさらに頑張ろうと無理をする・・・・。まさに悪循環,底無しの老老介護の蟻地獄だ。

この11月中旬,福井で71歳の妻が自分一人で介護してきた義理の父(93歳,要支援2)と母(95歳,要介護1)と夫(70歳,足不自由)の3人を殺害してしまった事件も,おそらくそうした老老介護による精神的・身体的疲労の蓄積の結果,引き起こされてしまった惨事であろう。

この妻は,3年ほど前から働きながら3人の介護をしてきた。もともと明るくて優しく,家族の世話をよくする「よい嫁」であったという。その妻による介護は,老老介護である上に,1人で3人をも介護する多重介護であった。その老老多重介護が,彼女にとって,「よい嫁」であろうとすればするほど,いかに過酷なものとならざるをえなかったか,まったくもって察するに余りある。同情を禁じ得ない。
*福井新聞「敦賀3遺体、夫殺害容疑で妻を逮捕」(11月18日),「敦賀高齢3遺体、介護の苦労漏らす」(11月18日),「敦賀殺人容疑の妻、介護うつ状態か」(12月6日)

これと比べ,私の母介護は,はるかに楽である。適当に手を抜き,息抜きをし,続けてきた。しかし,それでも,はっきりとは自覚はしていなくても,私自身の老化進行もあって,疲労は蓄積してきているようだ。

たとえば,このブログ。以前は毎日のように投稿していたのに,徐々に減少し,最近はせいぜい月数本となってしまった。関係情報を集め,読み,分析し,文章にまとめることが難しくなってきた。

といっても,私の場合,自由時間が極端に少なくなったわけではない。時間は,いまのところ,まだそこそこにはある。が,時間はあっても,介護のためそれが不規則に分断され,集中して何かをすることが出来なくなってしまった。そのため,イライラが募り,あせればあせるほど悪循環,それだけますます集中できない。これはブログ投稿だけでなく,他のことについても,多かれ少なかれ言えることである。

この状況は,身体よりも先に精神の疲労をもたらす。そして,それが少しずつ,だが着実に,蓄積していくと,眠る時間はあっても,実際にはよく眠れなくなる。そして,安眠できなければ,それは身体の不調をもたらし,不可避的に身体的な疲労をも蓄積させていくことになる。

私の場合,このような精神的・身体的疲労の蓄積は,いまのところ,まだそれほど深刻ではない(と自己診断している)。が,楽観は禁物,老老介護の底無しの蟻地獄に落ち込む前に,何か良い打開策を見つけたいと考えている。うまくいくとよいのだが・・・・。

[参照]厚生労働省「グラフでみる世帯の状況 平成30年国民生活基礎調査(平成28年)の結果から
▼要介護者等の年齢階級別にみた同居している主な介護者の年齢階級別構成割合

▼年齢別にみた同居の主な介護者と要介護者等の割合の年次推移

谷川昌幸(C)

Written by Tanigawa

2019/12/10 at 18:14

カテゴリー: 社会, 健康

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